石ころ

名もなき者

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 イエスさまの過ぎ越しの食事をするために部屋を用意した人、以前からなんだか気になっていた。
ロバを貸した人のように、その人も名前もないただの市井のひとり。だから気になった。

私も彼らのように、主のひとことによってふっと自分の手を離して、当たり前に明け渡すものを準備していたい、そう願った。普通に日々備えていることが出来るようにと・・。

 イエスさまは奴隷の値段、銀貨30枚でユダに売られたという。そうして強盗と共に十字架に付けられた。そこには王としても、まして神の子としての特別は何にもない。ただの罪人としてすべての屈辱を黙って受けてくださった。

イエスさまは神の子としてのすべての栄光を捨てて来てくださった。そうしてご自分を「人の子」と呼ばれた。死の際までも普通の人の子であろうとされた。

 サムソンの母にも名前はなかった。名前は無くても主は彼女をよくご存じであった。
そうして彼らの備えもよく知っておられた。
私たちの名前は主が覚えてくださっている。そうして、主に呼ばれた(必要とされた)とき彼らが即座に従ったように、私たちも備えがあれば主の御声を聞き分けることができる。ハレルヤ!

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