石ころ

子供達に死ぬことを教えないで


「高校の必須科目、履修漏れ発覚により校長が自殺」のニュースを聞いて、私は子供達に死ぬことを教えないでと思った。死んで責任を取ることはあり得ない。教育者なら、まして校長という学校で最も高い地位にいて、すべての生徒や先生の模範となるべき立場なのに死んではいけない。いや、誰であれ自殺してはいけない。

針のむしろに座っても、解決の道を自分で見いだせなくて暗闇に一人居ても、そんな中で生きていることも教育だと思う。失敗しないで、過ちを犯さないで、いつも堂々としている姿だけが教育じゃないと思う。

過ちによって人に迷惑をかけた時は、ただ謝るしかない。そうやって生きているしかない。人はそんな痛みを味わって、他人の過ちを見た時に許せる経験となるのだから。「人に迷惑をかけてはいけない」と教えるけれど、一生涯迷惑をかけないで生きられる人なんて居ない。許す立場からばかり教えようとするけれど、許される立場に立っても教えることはあると思う。その言葉が真実であれば多くのことを教えられると思う。

多くの学校が誤魔化しをしたこの問題は「なぜこんなことになったのか」「本当はどうするべきだったのか」「自分たちはどのようにして欲しいのか。なぜそう思うのか」「本当にそれは最善なのか」など、考える教材として用いることが出来るのではないかと思う。今後、50年、60年という長い人生において、これからあらゆる場で向き合うことになる「判断」と「結果」を学ぶ生きた教育にもなるのではないかとも思う。

学校でも、家庭でも、子供に教える最も大切なことは生きること。いのちの大切さ。このことよりも重要なことなんて何もないと思う。人生の最悪の時に真実に語って、立ち直る生き方を子供たちに見せてあげてほしい。

人は神様の大切な作品だから、人のいのちは自分のものではない。人は神様から、ひとり子イエス様を下さったほどに、愛されているのだから、自分のいのちを神様から奪ってはいけない。


神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。 創世記2:7

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