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石ころ

日曜日にはイエス様のお話を聞く 10.29


メッセージの中で、確かに私の知っているイエス様が語られていることは、とても安心で嬉しいこと。saltさんは、メッセージの中で姉妹に「あなたのご主人のことを、でたらめに語る人が居たら、あなたは不愉快でしょう」と言われた。その一言で、以前の教会で私が感じていた違和感や、疲れ、苛立ちが何であったのかはっきりした。

メッセージは時に「うん、うん。アーメン、アーメン」であったり、「ああ、そうだったのか!」であったり、「ちょっと待って・・私にはまだよく分からない。」「帰ってもう一度みことばを読んでみよう」だったりする。

「ダビデがキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子なのでしょう」「この質問にきちんと答えられる人が、いのちのある本物クリスチャンです。」

瞬間私は固まった。冷や汗がタラーン・・何となく、漠然と、しどろもどろでは、私は分かっていないということ。でも、それは希望でもある。知らないことが分かったら、ちゃんと聞くことが出来る。それでも分からないと何度でも聖書を読んで知ることが出来る。分かっていないと言うことを知らないと、何時までも成長しないままになってしまう。

家で詩編110編とヘブル書を読む。まだ私には、分からないところも沢山あるけれど、イエス様への感謝と喜びはいっぱいになった。

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