「善悪を知る知識の木の実」を食べて死が入った人類は、エバがそうしたように死から目を背け、様々な偽りの木の実を貪るうちに命の日々が持ち去られて行く。
聖いものはただ一つ神のことばである。いのちであり、真理であり、正義であり、愛であり、平安であり、完全ないやしであり、永遠に不変の御約束である。人はただ、みことばに「アーメン」と同意して留まることで完全となる。
善悪の木の実の汚れが入った時から、人は何が善であり何が悪であるかをそれぞれが判断するようになった。
どの国にもその国の善悪があることから戦争が起こる。家族にもそれぞれ自分の善悪があり、愛しているのに争うことになる。
園に「いのちの木」と「善悪を知る知識の木」が置かれたわけは、神のことばに留まる者を聖め分かつためであり、神への信頼と愛の証のためである。神を愛する者は神のことばに満足して留まる。
人には聖霊の守りの中で、ただ「アーメン」と聞かなければならない言葉があり、聞きに行くべきではない言葉もある。幼子のように聞く言葉があり、真偽を論じることさえ避けるべき言葉もある。
蛇が「あなたがたが神にようになって善悪を知る者となる」と言った言葉は、このことであった。人は皆それぞれの善悪に縛られて、聖霊の守りと導きに拠らなければ、神の善悪がわからなくなったのである。