「あなたがたは決して死にません。それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神にようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」
都合の良い蛇の嘘を聞いた時、神に対する信頼が揺るがされた。
そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。
しかし、神が園に植えられたすべての木が「見るからに好もしく食べるのによい木」であったのだ。
神との関係を繋ぐ約束はただ一つであった。愛している者の約束は大切にするし、決して無視することはない。
束縛の無い所では自由を味わうことはできない。神は最小限の束縛によって、信頼関係を育み自由を楽しませようとされた。
神に対する信頼が信仰である。神は人を信頼してひとり子を与え、家族と成して永遠を共にしようとされた。
しかし、人は神のキリストに信頼せず、蛇の言葉に耳を貸して同意していることは、なんと神を怒らせ悲しませていることであろう・・。
誰の言葉を聞くのかということが命を左右することがある。命をたまわったキリストのみことばに耳を貸さず、準備されている神の祝福を味わいもせずに、神のようになろうとする人類の賢さへの飽くなき欲望は、神のことばではなく蛇の言葉を聞いたことから始まった。