石ころ

あざむかないで(Ⅰヨハネ1章)




 自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。
自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。
罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。(Ⅰヨハネ8~10)


「罪は無い」と言うことは自分を騙しているのだと主は言われる。自分を騙す者には真理がないと・・。
人はまず自分に対して嘘を吐く。取り繕うときも、誤魔化すときも、隠し事をするときも、まず自分に対してこれは悪ではないと、理屈をつけなければならないからである。

その時最も心を痛めているのは自分自身であって、自分の中に真実なものがないことを知って苦しむのだ。
しかし、何時しか何に置いても真実なんか無いのだと、そんなふうに自分を慰めるようになってしまう。
その人は真理であるお方、完全である神様の存在を信じることはできない。

 救いの条件は「罪を言い表すなら・・」それだけである。
罪を「光の中に持って来なさい」ということ、そうするならすべて清めてくださるとある。
愛する御子に、私たちの罪を負わせて十字架であがない、赦しを準備して主は待っおられる。子として迎え、永遠のいのちを楽しませるために・・。
私たちは光の中で罪を精算されないかぎり、自分を欺いて生きることになるのだ。

神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。(Ⅰヨハネ5:18)新改訳

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