石ころ

イエスは尋ねる者には答え、訴える者には沈黙される。(マタイ27章)②





彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。「わたしは神の子だ」と言っているのだから。(マタイ27:43)


イエスさまへの非難は、神の子とされたキリスト者に対するサタンの妬みの言葉と重なる。救われる人々へのサタンの叫び・・。
そうして、正に神は十字架で救いを完成し、拠り頼む者をお気に入りとし、「神の子」として永遠に救い出してくださった。サタンは狡賢いが、勝ち誇った所で滅び、イエスさまを信じる者は永遠の御救いを賜った。

さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。
三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイ27:45~46)


イエスさまが十字架を前にして、血のような汗を流して祈られた恐れとは、罪を知らない方故に経験されたことのないもの、御父の聖さは罪を受け入れないことの恐れ、神の義を恐れられたのであった。
罪の負債をすべて負ってくださったその時、「父よ」ではなく「わが神」と罪ある人として叫ばれた。

そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。(マタイ27:50)
イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。(ルカ27:23:46)


神の義による罪の処罰を、すべて完了してくださったイエスさまの霊は天に昇り、体はヨセフのために、マリヤのために残された。
また、黄泉に下り、三日目に甦り、多くの人々に現れて、天に昇るために残された。

百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、地震やいろいろの出来事を見て、非常な恐れを感じ、「この方はまことに神の子であった」と言った。(マタイ27:54)


キリスト者を、神の子と証ししてくださるのは聖霊である。それは神のわざによることである。
サタンの勝利の様な十字架で、無実で殺されるというイエスさまの敗北によって、人は過去、現在、未来の罪から救い出され、イエスさまは福音を完成してくださった。
それは、神さまによる一方的な救いの計画の成就であり、御子の従順によって成し遂げられ、信仰によって賜わるものである。

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)


イエスさまは今も御父にとりなしていてくださるが、人は絶えず神を訴えている。「なぜこんな災害が起こるのか」「なぜ今すぐに助けないのか」「なぜ不平等を許すのか」しかし・・イエスさまはご自身を弁護されることはない。
十字架ですべての人の救いを成し遂げてくださったイエスさまの、真実を伝えるのはキリスト者である。

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