そこで、この律法学者は、イエスに言った。「先生。そのとおりです。『主は唯一であって、そのほかに、主はない。』と言われたのは、まさにそのとおりです。
また『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛し、また隣人をあなた自身のように愛する。』ことは、どんな全焼のいけにえや供え物よりも、ずっとすぐれています。」
イエスは、彼が賢い返事をしたのを見て、言われた。「あなたは神の国から遠くない。」(マルコ12:32~34)
律法学者は正しくみことばを理解していた。しかし、「神の国から遠くない。」というイエスさまのお言葉が空しく感じらる。どんなに正確に知っていても、それはショーウインドーの中のケーキ、その旨味を味わうこともなく、その栄養によって生きることもない。
隙間風が吹き込むようだろうイエスさまのお心が想われ、対照的なゲッセマネの強盗の救いを思い出した。
ふたりの強盗もイエスさまと一緒に十字架にかけられた。ふたりともイエスさまの事を知っていたけれど、一人は御国の約束を得て救われ一人は滅びた。世の終わりもこのようだと書かれている。
「神の国から遠くない。」
「あなたは今日わたしとともにパラダイスにいます。」
この言葉の差はなんと大きい事かと・・、遠くない所にいても救われない。イエスさまと共に居ないとアウトなのだから・・。
「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」に照らしたとき、もうひとりの強盗はこのみことばを、とっても短い時間ではあったが生きたのだと思う。
イエスさまを罵る者ををたしなめ、自分の罪を悔いて十字架刑を受け入れ、心と思いを尽くして神を恐れている。
また、自分たちの罪を知り、イエスさまが何も悪い事はしていない方であるということに希望を見いだし、彼は知性においてキリストを知ったのだ。
そうして彼はキリストに救いを求めることに力を尽くした。「私を思い出して下さい。」救われるために必要な力とは、我を忘れてイエスさまに叫ぶ力である。賢い答えを準備することではない。
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