石ころ

あなたは主のもとで全き者でなければならない(申命記18章)

 

もしレビ人が、自分が住んでいる、イスラエル中のどの町囲みの中からでも出ることを望むなら、主が選ばれる場所に望むままに行くことができる。(6)

 

自由に出て行く場所さえも主の備えのうちに在り、其処では神が共に居てくださる。そのことを窮屈だと、不自由だと感じるのは、誘惑されて神の愛の外に出て行こうとしているからである。

 

キリスト者は神の愛のうちに留まる必要がある。主のいのちの供給を受けて生きるものだからである。

イエス・キリストは神なのにすべてを御父により頼んで、ご自分からは何も計画されなかった。神の計画の通りに、無実の十字架さえも一切の働きを止めて、その命を敵の手に渡された。

キリスト者はこの事実を知っているので、世の理不尽に在っても平安が守られるのである。

 

わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。(ヨハネ15:10)

 

彼は、その場所で主の前に立つ自分の同族レビ人と全く同じように、自分の神、主の御名によって奉仕することができる。(7)

 

「奉仕することが出来る」ことは、命の祝福であり健やかに守られている現れである。
世の働きは限りある命を生きるためであり、自分の存在を確かなものとする等であるが、キリスト者の奉仕は赦しから始まり、主との交わりの喜びがあり、主にすべての必要が満たされる賜物によることである。

 

あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地に入ったとき、あなたは、その異邦の民の忌み嫌うべき慣わしをまねてはならない。(9)

 

そこにはあらゆる偶像礼拝があった。それらは、人が創造主を否んで作り出した神々である。自分の思いを叶えようと神々を産み出したのである。しかしそれらは何の力も無い。

ただ、悪霊がそれらを住まいとして、神のものであるいのちを奪っているのである。それゆえ神はそれらを忌み嫌われる。

 

あなたのうちに、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、
呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死者に伺いを立てる者があってはならない。
これらのことを行う者はみな、主が忌み嫌われるからである。これらの忌み嫌うべきことのゆえに、あなたの神、主はあなたの前から彼らを追い払われるのである。
あなたは、あなたの神、主のもとで全き者でなければならない。(10~13)

 

全き者とは愛なる神のご計画を、従順によってその身に実現する者である。御子を十字架にたまわるほどに人を愛する神は、その命が永遠の滅びに持ち去られるのを見過ごすことは出来ずに、ご自分のものを守るために命じられる。

 

確かに、あなたが追い払おうとしているこれらの異邦の民は、卜者や占い師に聞き従ってきた。しかし、あなたの神、主はあなたがそうすることを許さない。(14)

 

滅ぼすものに従う者は滅びに至り、生かすイエス・キリストに聴き従う者はこの肉体が土に返っても、キリストの復活のいのちを受けて、霊は新しいからだをたまわり、愛の神と共に永遠に生きるのである。

神は今日も命じられる「あなたは、あなたの神、主のもとで全き者でなければならない」

 

イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。(ヨハネ11:25)


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事