主人は今日は仕事。時々だけれど製材所に半日の仕事をもっていて一応現役。大きな銘木は製材所で挽く前に皮を剥いておく必要があるためで、その皮むきが仕事。主人は床柱になる絞巻きから林業一般何でも屋。
以前、台風で隣家に被さるように倒れかかった大きな木々を、一瞬にして反対側に倒す技を見せられてからは、少々呆けてきても私は主人を心の底では尊敬している。こういう舞台はサラリーマンには無理だろうなぁ・・。
私は、誰であれ仕事というもの、その技術や能力を目の前に見せられると無条件に尊敬してしまう。
主人はほとんどの時間を畑など戸外で過ごす。雨が三日も降ると血圧が上がって、「それほど家に居づらいのか・・」なんて思うけれど、私も助かっていることは事実。
近くのおばあさん達と親しくなって、「ちょっと、畑の杭を打って・・」とか「ちょっと草刈りをして・・」とか頼まれて、機嫌良く手を貸しているらしい。
時々は労賃として頂いたお金を律儀に私に渡してくれる。そんなときは老いた鵜から搾り取る鵜庄のような気分で、ちょっと可哀想だけれど、「まあ、預かっておく」と自分自身に言い訳。
「財布からいつでも要るだけ持って行ってね、全部あんたのものだから・・」とは言ってあるけれど、そんなことが安心して言える人である。
いつも、お年寄り仲間の話し相手になっているらしく、帰ってきてから私に色々と話してくれるけれど、私にはまったく関心がもてなくて「ああ、そう・・この間もそんな話をしていたね。」と、目をPCから離さずに素っ気なく答えてしまう日々。
時々は反省をして、私はおじいさんのすべてを喜んで「『それはようございましたね、』と言うような『かさこじぞう』のおばあさんにあこがれていたのじゃなかったっけ・・」と思うのだけれど、それはとても私の柄ではないと改めて知るばかり。
人付き合いの苦手な私には、主人が本当に似合いなのだと最近は納得している。年を取るに従ってついつい口出ししたくなって、あれこれと命じたくなったり、反対したくなるけれど、その度に夫を支配する「イザベルの霊」という言葉が思い浮かんで「ああ、恐ろしい・・」と思いとどまることができるのは本当に感謝。
あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。(イザヤ46:4)
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