石ころ

備え(主のストーリー)


 村の診療所から「おばあさんが一人で来ていますが来てください。」という一報を受けて主人と飛んで行った。
ベットで眠っているおばさんをのぞき込むと、黄疸で顔色がとても悪くて、ああ、これは・・と一瞬で起こっていることを理解することが出来た。

医師が救急車を呼んでくださって、以前お世話になった病院まで私が付き添った。
「ちょっと長い距離になりますけれど・・」って、救急隊の方が気遣ってくださったけれど、主人のぼろトラックではなくて、おばあさんが横になって行けることが感謝だった。

病院で待っている数時間、主人は「大丈夫か、連日やな・・」って気遣ってくれた。「いや、おばあさんには悪いけれど、あんたに付き添っているのではなくて本当に感謝だよ。」これは心からの言葉。

 医師もとても親切で何度も経過を説明してくださり、こちらの質問にも丁寧に答えてくださった。
「以前入れたパイプが詰まったようです。これからすぐに入れ替えます。」
「今度は、ステントになると以前聞いたのですが・・」
「いや、ステントは今はできません。状態の良いときでないと出来ないし、合ったものを取り寄せる必要があるのです。それに、パイプで九ヶ月も保ったのですからステントにする必要はないでしょう。」

処置が終わって出てきたおばあさんはよく眠っていたけれど、顔色は良くなっていて安心した。
今夜は付き添うことになると覚悟を決めて、長男経由で次男にメールをしてもらう。そうでないと、彼が真っ暗な家を見た時、主人に何かあったのではないかと心配をするだろうから・・。
私は未だに携帯を持たないからこんな時困るのに・・でも、正直ものすごく面倒なのだ。選ぶことや持つことが・・。

 しかし、今回はICUに入ったので夜付き添う必要がないことがわかった。おばあさんは相変わらすスヤスヤと眠っている。しばらく付き添っていたけれど、必要な書類を書いて、看護婦さんの「大丈夫ですよ」という言葉に押されて病院を後にする。

主人と「日が長くなったなぁ・・ちょっと前なら真っ暗やったのにね」なんて言いながら、お腹が空いていることに気付いて途中で夕食のお寿司を買った。さすがに何もする気がしないほど疲れていた。

 主が導かれることならどんなことでもできる。だから、今まで親戚の面倒なことを一人で引き受けることが多かった。主がさせてくださるからできるのだけれど・・。
キリスト者は主の前にあって、問題からは逃げるべきでないと知っているから・・それは人間関係の問題ではなく、主と私の関係においてのことだから、理不尽でも黙ってやって来た。そうして、彼らの子供達や親戚には一切何も言わないことにしている。

 私を知り尽くす主は、いつも脱出の道は備えていてくださった。今回も、夜おばあさんの娘から電話が掛かってきて「明日は、娘を連れて私が行きます」と言ってきた。「ああ、それは良かった。おばあさん喜ぶよ。」と言ったけれど、これは実にめずらしいことで彼女は生まれて初めて母親の介護をすることになる。

それは私のためだけではなく、彼女のためにも本当に良かったと思う。母親が年寄りの世話をするところを娘に見せることは大切なことである。それは自分自身のためにもなることだから・・。
主の備えに心から感謝してしばし重荷から解放された。主はいつも私たちを心配していてくださる。その御愛が身に染みる。

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