石ころ

亜麻布の青年

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ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕えようとした。
すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた。(マルコ14:51~52)


この箇所がずっと「?」だった。聖書にどうでもよい記事があるわけがなく・・それで、主に教えてくださいって願った。
その直後、息子と聖書を読み交わしているとき閃いた。「それは帯だよ」って・・、主が教えてくださる時はいつもこんなふう・・。

では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、
足には平和の福音の備えをはきなさい。(エペソ6:14~15)


イエスさまについて行く者は、しっかりと神の武具を身につけて、真理(イエス・キリスト)の帯を締めていなければならない。そうでないと裸の恥を世にさらすことになる。
どんなに良いことをイエスさまの名によって行っていても、必ず途中で力尽きて恥をさらすことになってしまう。

十字架を前にして、人がイエスさまの姿を目で見ることが出来なくなる時に語られた記事である。どのようにして主に付いて行けばよいのか・・そのことに繋がっていった。

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。(エペソ6:10~13)


そしてまた、
これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。(コロサイ3:14)

愛であるイエス・キリストを着なさいということ。私の中にない愛だから、ただイエスさまにより頼んでキリストの愛を生きさせていただけるようにと・・。
神の武具と神の愛を身に着けて、聖霊の導きによってイエスさまに付いて行くなら、世に裸の恥をさらして逃げることにはならないだろう。

なんて嬉しいこと!わからないことに出会ったときは、新しく主にお会いするチャンス。ハレルヤ!主よ感謝します。

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