自分の籠に、いつの間にか他人の財布が入っていたということは、時間と共にだんだん気味悪くなってきて、昨夜は1時を過ぎても寝付けなかった。
平安を祈っても、みことばを探っても寝付けなかったのだけれど、「無実の罪を着せられかねないこと・・」って言葉が浮かんだとたん、「ああ、それはイエスさまだ」って気づいた。
主を知る者にとって、無実の罪はそれほど恐れるべき事ではないんだって・・それはイエスさまが一番よくご存じのこと、イエスさまほどの濡れ衣を着せられる者は誰もいない。
沢山の人と楽しく過ごしている時よりも、在らぬ疑いの中で困惑している時の方が、イエスさまに近しくいるのかも知れないと思い至ったとき、なんだか嬉しくなって・・心から安息することができた。
それでも朝になって、心騒ぐことはないけれど主人の忠告もあって、お店に電話を入れて、「防犯カメラを見せて貰えないでしょうか・・」とお願いをしてみた。
電話に出られた方は同情して下さって「わかりました。調べてお返事します。」といって下さった。
お店の説明では、「子供連れのお母さんの財布でした。どうも子供さんが間違えてお母さんの財布を入れたようです。」ということだった。
どうにも妙な話で、「子供に財布を持たせていたのですか・・」と突っ込んでみたものの、説明は曖昧だったけれどそういうことで治めたい空気が読めて、お店に謝られるもの本意ではなく、「わかりました。これで結構です。」ということにした。
というのも、私自身の中ではとっくに解決しており平安の中にあるのだから・・。
思えばお店にも迷惑な話だろう・・。近くのお店は私にとっても大切である。どんどん近くのお店がなくなって遠くまで出かけないとちょっとした買い物も出来なくなるということは、年寄りには大変な不自由であるから・・。
それでも、とうぶんは行きたくないなぁ・・って気分だけれど・・。
たとえ、私たちの回りに悪しきものの罠が仕掛けられてあっても、悪しきものが十字架に勝利することがないように、そのすべての企みの向こうにある神の力に、どんなときでも安息することが出来るのだって・・そんな結論を得た。
神によって、私たちは力ある働きをします。神が私たちの敵を踏みつけられます。(詩篇108:13)
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