石ころ

エバの言葉に寄り添うサタン(創3章)

 

 さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」(1)

 

蛇は賢さをもって、神の愛の中に居るエバを誘惑した。サタンの使いである蛇がこのようなことを仕掛けるのは、神の愛を失ったものの激しい妬みからである。
蛇は神の完全な愛の中に在るアダムたちを羨んで、自分たちと同じ目に合わせたいと、善悪を知る知識の木の側で待ち構えていたのである。神が警告された木に近づくことは危険である。

 

神の愛から切り離す方法がみことばの否定であることを、サタンは経験から知っている。天使であったサタンはみことばに従順せず、神のようになろうとして神の愛を失ったからである。エバを同じ道に引き込もうとした言葉は「神のようになる」であった。

主を信じる者に仕掛けるサタンの誘惑は、みことばをどのように理解し従順しているかに在る。イエスが荒野の試みに合われた時もみことばを用いて試したように・・。

 

神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(2:16~17)

 

神がこのように命じられたのは、エバが造られる以前のアダムである。アダムはこの「死」をどのくらい正確に理解し、どのようにエバに伝えたのであろう。

 

女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。
しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」(2~3)

 

蛇は、初めと違って「神は本当にそういわれたのですか」とは言わず、サラっと流して言葉の曖昧さに彼女の願望を見抜いた。
主に身を避ける者には、みことばだけがあらゆる悪いものから守る砦であり、盾であり、勝利の剣である。

サタンは神のことばを覆す力を持ってはいないが、人の心にすり寄ってみことばを捻じ曲げ、すり替えることは得意である。人の願望に叶って、喜んで受け入れる言葉を知っているからである。
荒野の試みでイエスを誘惑することが出来なかったのは、イエスの願望がサタンと一致することは何一つ無かったからである。

 

すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」(4~5)

 

 アダムはエバに正確にみことばを伝えたのであろうか。彼が聞いた「死」という知らない言葉について、どのように受け取っていたのであろう。
少なくともアダムは、エバを連れて直接主に「死」について訊くべきであった。「私も知らないことだから・・」と。

 

みことばを聖霊によって直接主に聴くことは、永遠のいのちに関わることである。人は不完全なものでありどれほど学んでも、みことばの真意を語ることなど誰も出来ず、聖霊の導きに拠って、それぞれが直接主に聴かなければならないのだ。そのようにして聴いたことばを分かち合う時、互いが聴いたことばから、共に悪いものから守る知恵を備えて行くのである。

 

 神のかたちに造られていながら、「神のようになりたい」と思うのは、いつもお側にいてお交わりの深みを知らず、聴いているみことばに思いを巡らせることもないゆえに、本当には神を知らなかったからである。それゆえ、神のかたちである自分の価値にも無関心だったのである。

 

そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。(6)

 

サタンは人の感情に寄り添って誘惑し、欲望を刺激してみことばに背かせる。エバは堪らずにその好もしい実を食べ、アダムにも食べさせ共同責任を負わせた。
此処でアダムは神の言葉を無視して、いともあっさりとエバに従った。死を知らぬ平和の中では、聴いたことばを忘れてしまっていたのかも知れない。

 

そのようにアダムがみことばを軽んじた結果、永遠のいのちは取り去られて死ぬ者となり、神のかたちに造られた人の価値は地に堕ちた。何よりも、人があれほどに近しかった神から遠い者となってしまった。

みことばは人伝ではなく直接主に聴かなければならない。分かるまで留まって聴かなければならない。サタンはみことばの曖昧さを突破口として、心に入り込み肉の喜ぶことを吹き込んで、主への信頼を破壊するからである。

 

聖書には人が見たことも、経験したこともないことが書かれてある。それは滅びることがないようにとの神の警告である。
わからないことばに思いを巡らるとき、助け主なる聖霊が霊の目を開いて解き明かし、手を取るようにして永遠に至る道を歩ませてくださる。私たちが時が良くても悪くても、命を委ねて主を愛し感謝の中に留まっているからである。


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