主はアロンにこう告げられた。
「会見の天幕に入るときには、あなたも、あなたとともにいる息子たちも、ぶどう酒や強い酒を飲んではならない。あなたがたが死ぬことのないようにするためである。これはあなたがたが代々守るべき永遠の掟である。(8~9)
「ぶどう酒や強い酒を飲んではならない」この永遠の掟を、神が直接アロンに語られたのは、二度と祭司が打たれて命を失うことがないためであり、アロンを祭司として用いる神のご計画に、変わりが無いことを示されたのである。
モーセは罪のきよめのささげ物の雄やぎを懸命に捜した。しかし、なんと、それは焼かれてしまっていた。モーセは、アロンの子で残っているエルアザルとイタマルに怒って言った。
「どうして、あなたがたは、その罪のきよめのささげ物を聖なる所で食べなかったのか。それは最も聖なるものだ。それは、会衆の咎を負い、主の前で彼らのために宥めを行うために、あなたがたに与えられたのだ。」(16~17)
未だ、アロンはモーセの言葉に完全に従い通すことはなかった。そこにはアロンの判断があり、みこころに完全に従順するための悟りが無かった。アロンはどこまでもアロンであり、人は常に不完全なのである。
アロンはモーセに言った。「見なさい。今日、彼らは自分たちの罪のきよめのささげ物と全焼のささげ物を主の前に献げたが、このようなことが私の身に降りかかったのだ。今日、私が罪のきよめのささげ物を食べていたら、そのことは主の目に良しとされただろうか。」
モーセはこれを聞き、それでよいとした。(19~20)
アロンは子どもたちの死に対する責任を覚えて、たまわっている祭司の食べ物を煙にして捧げ、懸命に主に留まっていたのだ。それは主に命じられたこととは違っていたが・・。モーセがアロンの捧げものを認めたのは、彼の痛みと悲しみの深さを知っているからであろう。また、主が憐み深い方であることも知っているからである。
私は、この箇所を読む2カ月ほど前までワインを飲んでいた。グラスに一杯のワインを飲むと、カチカチになっている体や心がほ~っとほぐれて行く気がして、夕食時に楽しんでいた。ホットワインならすぐにぽかぽかになれた。酔うほどではなかったが、無意識の緊張がほぐれて行く心地良さがあったから・・。
しかし突然、少しでも口にすると腹痛が起こるようになり、主が取り上げられたことを察して止めた。主が警告される方法は様々だけれど、何時も鈍感な私にも分かりやすい方法ではある。
今この通読箇所に来てなるほど・・と主の備えに感謝した。そうでなかったら此処で悩むことになっただろう。書くことを中断するか、この部分を誤魔化すか・・どちらも出来ないことである。
しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイ16:23)
イエスはペテロの口から出た、サタンの言葉を叱咤して追い出しペテロを守られたことがある。そう「下がれペテロ」とは言われなかったのである。もし、そう言われたらペテロは二度お側に居ることが出来なかった。
主は私たちがお側に仕えることを守っていてくださる。すべてが主の備えでなければ誰も主と共に居ることなど出来ないのだ。
人は失敗をする者である。世にはあらゆる誘惑がありサタンは常に働きかけるが、主はすべてをご存じである。サタンの悪巧みも人の弱さも・・。
人のすべてをご存じのお守りの中で、キリスト者は平安のうちに喜びをもって、自分の役割を、日々のみことばに聴いて導かれて行く。
私たちが近しくいる時、すべての悪いものに対して「下がれ」と叱って罠から守り、成すべきことを行わせてくださるのだ。
蛇足
新しいワインを捨てるのも勿体なくて、使い道を検索していたら、ワイン塩の作り方があり、色の美しさに惹かれて作ってみた。岩のようになっていた古い塩もあったので、それを使ってワイン色の綺麗な塩を作ることが出来て楽しかった。
また、ワインビネガーも仕込んでおいたが、まだ残っているのでハッシュドビーフでも作ろうかな・・。もう、二度と買うことはないワインを、アルコール抜きにしてまで味わう食いしん坊。