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石ころ

百人隊長 ②

百人隊長の信仰を導き成長させたのはイエスさま、十字架を知ることが出来るのも神様側からのアタックがあってのことだと思う。

イエスさまは私の苦しいときに、心の戸を激しく叩いてくださった。その時私は、もう、どうしょうもなくなって戸を開けて、主を迎え入れ、自分の中の醜さをさらけ出して隠さなかった。さらけ出すことが出来たのは、主が平安を下さったから。主がそういう御方だったから。

まともに触れられたら壊れてしまいそうな部分にも、本当に主は、繊細に愛深く悔い改めに導き、なにも壊されない・・。
「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、」(イザヤ42:3)アーメン

イエスさまが百人隊長の信仰を喜ばれたのは、御自身を知る者を礼拝者として求めておられるからだと思う。「見ッけ!」そんなふうに喜ばれたのだと思う。自分で育てておいて成長した姿を喜んでくださる御方。

私は、私自身をさえイエスさまが知らせてくださるにお任せ。そんな私の恥を主がいつも受けて下さっている・・。それは本当に、イエスさまの愛と忍耐を経験することにつながって行く。

「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。」(2サムエル7:18)アーメン

でも、今私たちは百人隊長のように主に接する者ではない。その御方はいつも共にいて下さる御方。私のもっとも穢れた部分をすべてご存知で、聖めてくださった御方だから。慣れ親しんだ御方であり、日夜礼拝しひれ伏す御方。とても不思議な関係でも、それはとても自然。

百人隊長はしもべを愛する心優しい人だったと思う。でもその人への愛を、イエスさまを礼拝する愛に導かれたのは主。

「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」 (ローマ11:36)

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