「おことばのとおりに」なるという百人隊長の信仰に至らなければ、聖書を読む意味はないと思う。
曖昧な信仰で終始して、結果、暗闇で歯ぎしりをするような御国での生活は、ゲヘナよりも辛いかも知れない。だって、主と隔てられたところが、永遠の住まいとなるならそれはとても恐ろしい。
今、私たちは聖書によってイエスさまに出会い、百人隊長のようにイエスさまのおことに信頼して、みことばに拠り頼んで信仰生活を送る。もちろん信じる者に働く神の助けに守られてのことだけれど・・。
主のおことばによってすべては創造され、十字架のことばはふるいとなって、そのみことばを聴く者の信仰を、その日々の生活の中で証する。
「神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。」(エペソ1:9)
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