あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰らなければならない。
この第五十年目は、あなたがたのヨベルの年である。種を蒔いてはならないし、落ち穂から生えたものを刈り入れてもならない。また手入れをしなかったぶどうの木の実を集めてはならない。(レビ記25:10~11)
神は7日毎に仕事を休み、7年毎に地の収穫を休み、50年目のヨベルの年にはすべてを神の元に戻すように命じられた。
それは人の働きを精算して、財産である地を割り当てられた主の元に戻す年である。
すべて地は主のものだから、神のものは神の元に戻るのである。この規定を守ることは自身が神の所有であるという事の証となるのだ。
その時、主は彼らを神のご真実によって養ってくださる。
今もこのように神に従う事が出来るなら、人はどれほど過ちから守られることだろう・・。
留まる所を知らぬ支配への執着を人は持ち、その欲に惹かれて人生を突っ走って行くことが滅びの始めなのだから・・。
勝利した人が、敗北した者を二度と起き上がれない怨嗟の中に閉じ込めるなら、そのような社会が幸せなわけはなく平和なわけもない。
平和も真の豊かさも主から出たものでなければ得られない。人の豊かさは虐げられた貧しさの上に成り立っているが、その貧しさはすべての人に痛みとなって現れる。
どれほどその事実から目を反らせても、神は、人がそれほど鈍感で居続けられるようには造られていないから、肉は豊かに見えても心は渇き蝕まれて行く。それは社会を、国を歪にし必ず滅びに向かわせる。
今、この国を覆っている暗黒の時代への予感。それも元は同じ所から来ているのだと思う・・。その欲望は足りる所を知らずいよいよ渇くものだから・・。
まさしくみことばのとおりである。
「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」(ヤコブ1:15)
命のある間に主に帰ろう。遅くはない。
「私のヨベルの年とは何だろう・・」と主に聴こう
主を恐れることを知り、すべてを一度神の元に戻して、「私をあなたの所有としてください。」と願おう。
こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。(Ⅰペテロ4:2)
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