石ころ

2020.5.7.(閉じ籠りの味わい)

 

 人とよく交流をし、世のことに関心を持って出かけることが健康的だと、さんざん言われてきたけれど、すべてが不可能となった今、私はなんとなくホッとしている。
命を脅かすコロナは憎らしい敵には違いないが、どんな時も何かそこには悟るべきこともあるはず・・。

 

閉じこもるからボケるのではなく、ボケて来た結果人と会うのが億劫になったのではないか・・。それは、あちらこちらと彷徨って治るものではないと思う。


一人で落ち着いて暮らせないことの方が、根の深い問題があるのではないかと思う。心に不安を抱えると、ひとり静まることは出来ないものであるから。

 

 老後は、やっと訪れた自分のための掛け替えのない時間である。若い頃には誰かのために時間を使い続け、それらの責任から解放されて手にした自由である。


残された時を有効活用するには、他のことにかかずらわる余裕は時間的にも、能力的にも、体力的にも無く、自然と閉じこもるスタイルになるものである。

 

 誰にでも老いは孤独を持って来る。次々と友を亡くし、連れ合いに先立たれ、子どもたちは自分の人生に邁進するようになり、結局ひとり残ることは長生きの結果なのだ。

 

しかし、孤独は良いものでもある。自分と平和に暮らし目的を持っていれば、時に襲われる寂しさも心に深い陰影を刻んで、そこで思いめぐらせることも、人生の豊かさの一つであり、命のほろ苦さをも味わいだと思う。

 

 私は信仰によって、この孤独の終わる日を楽しみにもしている。イエスさまの身許に召されて、晴れて目出度く天にゴールインとなるのだから・・。

今の孤独を噛みしめる余裕は、イエスさまに頂いた先の望みがあればこそで、本当に感謝なことである。


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