イメージに振り回されることは、キリスト教にも本当に多いと思う。教会というイメージがあり、牧師と言うイメージがある。クリスチャンというイメージがあり、それぞれに自分の神様イメージがある。自分の持っているイメージに合わせようと、日々やりくりするクリスチャンさえある。
イメージは事実ではない。でも、人はイメージに合わせて事実を曲げることも平気でする。人は決して事実だけを見て生きては居ない。今、目の前のことによって困るわけではなく、先にあることをイメージして、まだありもしない事に困ったりする。
見ていても信じないし、また、見ていないのに信じる。私たちのイメージは何によって生まれているのだろう・・それはとても重大なことと思う。
イメージよる好みはとても頑固で、信仰生活でもやっかいなもの。聖霊によってイメージの沸くところを支配して頂かなければ、肉から沸くイメージは私たちを振り回し、私たちを支配し続ける。みことばを生きることを妨げ、正しくイエス様の姿を描いて安息することも妨げられてしまう。
みことばに裏打ちされた、イエス様にある正しいイメージが私たちの中からあふれて流れていきますように。その祝福の流れが、私たちの教会を、家族を満たしていきますように。
イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」 聖書
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