見出し画像

石ころ

 健康についての番組を見ている主人に、「私の症状とよく似ているでしょう」と言いつつも、忙しくてテレビは見ては居られない私に、主人が薬の名を書いたメモを指し出す。「ええ薬が出たらしいよ」でも、

「いらん、いらん。放っておいても直るから。」とメモを受け取ろうとしない私に、「せっかく教えてやったんやないか」と主人は怒って、自分の部屋に向かう。
「あんたはそんなことくらいで怒るけれど、せっかく買ってあげた靴を履こうともしないやないの。」自分の言葉に私は驚いた。絶妙のタイミングだったから。

 主人は絶えず膝の痛みを訴えていたから、「良い靴を買おう」と気のない主人を説得して店に行き、足にぴったり合う物が見つかるまで、次々と靴を脱いだり履いたりを繰り返した。面倒くさがりの主人は「これでええ、これでええ」と適当に言う。いつもこの手でいい加減な靴を買ってしまって失敗をしている。

今日はどうしても合う靴を見つけるまでは妥協しないぞと、ケチな私が値段は見ないで、良さそうな物を履かせ続けた。やっと「お、これは気持ちええなあ」とのひとことを聞いた。ただし、「ちょっと足が詰んだ感じやけど、靴下を薄くしたらええと思う」という。どうして靴に足を合わそうとするのかとあきれながら、もう1サイズ上をはき直すように無理に勧めると「ああ、ぴったりや!」ということで、やっと見つけた靴だった。

 これほどに苦労をして、高いお金を払って買ったスポーツシューズだったけれど、「今度どこか行く時に履こう」と下駄箱のうえに上げてげてしまった。
「治療のためだから、いつもこれを履いて、履き潰してね。」と言ってあったのに・・。私はもう怒り心頭に発す状態。一度だけ蹴飛ばして見なくてもよい所に終ってしまった。

「でも、でも・・主人の性質を知って居るではないか、無理矢理が通じる人ではないことも。祈っている、祈られてもいるのだから押しつけは止めて、すべてを主にお任せしよう。」
と、やっと主にたどり着いた直後に、あの場面が備えられていた。そして、あの一言が備えられていた。
次の日、もう一度出してきて玄関に並べて置いた靴を主人は履いて行った。そうして、今日のひとこと「足首からぴったり包み込まれるようで、これは楽や」

イエスさまの原則を知っているのに、無理矢理を通そうとしては失敗する。でも、主はいつも忍耐強く導いてくださる。私が気づくまで待っていてくださり、平和に至らせてくださる。
私も主から忍耐を頂きたい。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

石ころ
ありがとう
「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。」
このみことばが心に広がりました。
ぐずぐずと、理屈を言っている心のカサブタを剥がされた思いです。

近づけば傷つけることがあっても、近づかないと分け合えませんね。本当にそれは「通過点ハレルヤ!」なのですね。

私が負担に思うことを、主が導かれることがあります。それは私にとって必要なことであると知っています。
逃げていては主を楽しむこともできないということなのでしょう。




イチゴ
本当に感謝です ハレルヤ!
 言葉の不自由さからの出口を 私も祈り求めたことがありましたが ある姉妹に「たとえ 本当に伝えたいことが上手に話せても また話せなかったとしても結果は 霊が働いたかどうかに掛かっている」と言われました。
私のような身元不明の者が こうして 身も知らぬ人のブログに真剣にコメントして真剣にお返事いただけるのは 「ただ主にある」 という共通点。
 頭で考えたこの世的なアドバイスが欲しいなら 私の訴えに相槌を打ってもらうだけなら 周りの多くの人で充分なのです。そんなものじゃなく 私は 石ころさんの中にあるキリストに期待して またキリストを主とする石ころさん(自分に似ているところがあって また人生の良き先輩と感じる)に期待して コメント書かせてもらっています。そして期待通りに 戴く言葉には 通り一遍の慰めでなく 深い愛を感じます。時には自分の隠れていたどうしようのない部分に光が当たって痛いこともありますが それは通過点に過ぎない。ああ はれるや!
私が「お会いしたい」と言ったことがご負担になったのなら 本当にごめんなさい。上手く表現できませんが 例えばSaltさんのお話は解り易くて学べるのですが 日常のなかで 主を真ん中にして共に語りたい人は 普通の妻 母 娘 女性なんです。私も余計な一言を書いてますね。キリストにあって話してるので どうぞ これを読んだ方々が気になさいませんように。長々とごめんなさい。 
石ころ
何だか偉そうに書いてごめんなさい。
ひとりで思いめぐらせていて、その結果だけをポンと書いてしまうのが私のそこつさです。ごめんなさい。

リアルにお会いすると楽しいことも多いでしょう。一緒に笑ったり、感動を分かち合って・・・、祈り合い、
クリスチャンの一致をいっぱい見つけて喜ぶこともできるのですが、

時々、真実に話したつもりでも、それは事実のある一面にすぎず、偏った言葉になってしまったのではないかと、後悔することがあります。

そして、私は言葉の不自由さに悩んでしまいます。特に、顔と顔を合わせてダイレクトに語る時、頭の悪い私は付いて行けなくて、焦ってしまって、思いと違う安易な世間話に終始してしまって、本当に伝えたいことを伝えられなかったという苦い後悔をするのです。
大切な出会いならなおさら・・こうなるのですよね。
これは私が臆病なだけかもしれません。

ここは、主の出番なのですね。確かに祈ってであった出会いは不思議に、スムーズに思いを伝えることが出来ました・・。恐れずに祈って会えばよいのでしょうね。
本当に、私はひとりでは何もできないのです。
イチゴ
感謝します
「ゆっくりと 事細かに」
私に無い部分です。
そのようにして 相談してみます。

遠く離れていても 共にいる
共にあり キリストが共に働いているから
遠いか近いか どちらにも差はないですね
それを忘れていました
石ころ
主がお待ちです
お祈りを感謝致します。
私たちは遠く離れていても、イエスさまはいつも共にいてくださいますから大丈夫です。

どんな時も、すべての事柄の中に介入してくださる御方です。信頼して、ゆっくりと事細かにご相談なさることをお勧めします。
主が待っておられますよ。
イチゴ
お返事 ありがとうございます
何だか たまらなくなって パソコンを開けてみたら
お返事くださっていて また涙が。
私 たぶん今 身体も精神も疲れてるのだろうし
霊も曇って ぼやけていたようです。

「なぜ 泣けてくるか」 わかりました。
でも ここに書くには個人的すぎて。
コメントしていて無責任ですが 石ころさんが
「ピンとこない」のは 当然ですね。
キリストによって 許してくださってることを感謝します。

この涙の勢いで書いてしまいますが
いつか お会いして話したいです
今の私の体力では奈良県は遠いですが その一方で
「行ける」予感もするので 後は神にお任せして

石ころさんご一家に 神の業が益々はっきりと顕れますように お祈り申し上げます。
 
石ころ
イチゴさんありがとう!
本当にお久しぶりですね。
いつも見ていてくださったのですね。とても励まされます。ありがとう。

でも、でも、今日のイチゴさんの感動が、残念ながら私にはもうひとつピンとこないのです。

そういうものなのかも知れない・・・と思いました。
私は気づかずに、ただ日常を書いているだけなのですが、主は必要な方に、働いてくださっているのだと・・。
それでいいのだと・・いや、もしそうなら嬉しいと励ましを受けました。

主に感謝致します。
イチゴ
お久しぶりです ハレルヤ!
今日のブログ 読ませてもらったら 涙が止まりません。なぜだろう。
石ころさんの中にあるキリストに感謝です。
冬の間 コメント書けませんでしたけど
いつも読ませていただいてます
時に応じて ぴったりの励ましも戴いてます。
姉妹の存在を 本当に嬉しくおもいます
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事