ヨシュアに聞き従って、契約の箱をかついだ祭司たちは、蕩々と流れるヨルダン川に一歩踏み出し、水の引いた川の真ん中にすべてが終わるまで立っていた。
ヨルダン川を渡ったとき、リーダーとしてヨシュアへの民の信頼は一生変わらないものとなった。
今やヨシュアは、恐れをもって従うと誓う4万人の戦士を従えた堂々たるリーダーであった。
しかし、その時
主の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。(ヨシュア記5:15)
エリコを前にして、主が告げられたことは「靴を脱げ」であった。靴は主の命じられた所を勝ち取るために、大切な足を守る人の備えであったのだけれど・・。
しかし、ヨシュアはその備えを捨てた。
あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。(ヨシュア記1:3)
神がヨシュアに約束された場所は、彼の弱い生の足の裏によって踏む所であった。彼は、自分を守る為の備えを捨てて主に信頼した。
ヨシュアの仕事は主の言葉をそのまま信じ、権威を持って伝えることである。
聖なるところは完全に神によるものであり、人の知恵や人の経験、人の備えを持ち込むなら主の計画は汚れる。それらはパン種である。
彼は自分の戦士4万人を主に返した。ヨシュアを強め、彼を用いるのは一方的に主である。主の軍の前で彼はこのことをわきまえた。
ヨシュアは「強くあれ、雄々しくあれ」という神の言葉のとおりに、戦いを主のことばに委ねた。
彼の雄々しさと強さは、神のことばを曲げることなく伝える力である。それこそが、主にあるリーダーの使命である。そこから右にも左にもそれてはならない。
私たちは、何を恐れるべきなのだろうか、何に対して雄々しくあり、何に対して強くあるべきなのだろうか・・。きよくあるためにそれを間違えてはならないと思った。
彼らは、わたしの民に、聖なるものと俗なるものとの違いを教え、汚れたものときよいものとの区別を教えなければならない。(エゼキエル44:23)
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