台風が来ると確実にしんどくなる。体に鉛を付けられたように重く、だるく、頭が痛くなる。まあ、時間が解決すること、台風が去っていくのを待つしかない。今日はひたすら我慢。何もしたくない・・・
ゴロゴロしつつ、BSでモーツアルトを聴いた。体に旋律が残っている間はしんどさを忘れていた!でも、直接会場で聞いていたら完全に直っていたかも知れないと思う。体をふるわす、心を揺さぶる音を楽しむ事が出来るのは、やはり電気を通じてでは駄目。絶対違う。でも滅多にコンサートなんて行けないよ・・・私には贅沢すぎる。
それでも身近に何時でも音楽を楽しむことが出来ることは大きな喜び。イエス様の慰めを感じる。
息子は耳が聞こえない。そのことを知ったときにはレコードをすべて捨てた。私も生涯音を楽しむまいと決めたから。
でも今、成長して自立した彼の前で、堂々と音楽を楽しんでいる。今は彼の障害を可哀想とは思わないことにしている、彼に失礼だから。不自由さを幾らは分かっているけれど同情していない。そのことで息子と喧嘩さえする。「僕は聞こえないんだぞ」「ああ、そうだったね、忘れていた」なんて調子。
昔は泣いたこともあったけれど、今は「障害なんて逆手にとって利用すれば」なんて思っている。イエス様に癒しを求めた時癒されなかった。それは癒す必要がないということ。それは「弱さの中に働く主」だから。これこそイエス様の備えだからこれで完全ということ。
誰だって色々な不自由を持っている。どうにもならない自分を抱えている。そのことに気が付いていない人が多いけれど・・・
彼は分かり易い分、イエス様の助けを受けることが易しいから、それは、きっと自分で思っている以上の素晴らしいことだよ。自分の弱さを知ることはクリスチャンには力だよ。
なんて理屈を言いながら、母はモーツアルトに酔っている。
「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」聖書
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