それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。(マルコ8:34)
ペテロが「あなたは、キリストです。」と告白した後、後に重い十字架を負うことになるペテロ、黙示録を書くヨハネ、後にヘロデ王によって殺され殉教するヤコブに、ご自身の真のお姿を見せられた。
それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で御姿が変わった。
その御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。(マルコ9:2~3)
また、御父も御声を聞かせて彼らに確信をお与えになった。
そのとき雲がわき起こってその人々をおおい、雲の中から、「これは、わたしの愛する子である。彼の言うことを聞きなさい」という声がした。(マルコ9:7)
しかし、ペテロは何度も失敗をしてる。そう、此処で主は私たちの失敗によって、選びを撤回されるようなお方ではないことがわかる。
パウロも失敗をしている。しかし、人の失敗によって、主が良い計画を変えられることはない。此処にキリスト者の平安がある。人は失敗をする者だけれど、主がすべてを益にしてくださる。
さて、山を降りながら、イエスは彼らに、人の子が死人の中からよみがえるときまでは、いま見たことをだれにも話してはならない、と特に命じられた。(マルコ9:9)
今はわからなくても後にわかる。そのときまで心に納めておくみことばや出来事がある。やがて話すときが来るから、今日を主の命じられたように在ればよい。日々、主に聞く中ですべては導かれる。
彼らの目に焼き付けられた真っ白に輝く主の御姿は、使徒としての行く手を照らし続け、委ねられた福音を伝える役割を全うさせた。彼らはたまわった恵みを完全に用いたのだ。
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