石ころ

弄ばれる言葉



 「明日ママが居ない」私は初めから見ている。
ロッカーに捨てられていたから「ロッカー」とか、赤ちゃんポストに捨てられたから「ポスト」、ストレートなあだ名に驚いたけれど、昨今偽りの言葉ばかり見聞きしていたので、なんというか・・スカッとした。

スカッとした理由は、子供達がその現実から少しも逃げないで、卑下することもなく、自己憐憫の欠片もなく、事実を受け入れてたくましく、明るく描かれているからである。

身を寄せ合う彼らの中の優しさと、身勝手な大人から自立しようとする健気さが、その呼び名とは裏腹にさわやかだ。
上品な言葉で語る下品な人を、日々テレビでは見せられているから、そんなことにはうんざりしていた耳には新鮮だった。


 このドラマによって虐められた子供が居るということで、中止させようとすることは愚かな勘違いだと思う。
ドラマをネタにして虐めるということこそが問題になるべきで、思いやることも出来ずに虐める子供の心は痛んでいる。それこそ癒しが必要であることに気付くべきなのだ。


 施設長が子供達に、貰ってくれる家族の気を引くために嘘泣きを強要する場面があった。
これは痛烈な皮肉であって、嘘で固められた世の中で生きるための保身術であることに、ドラマが問題になったことで気付かされた。

もし、ポストという名ではなく、ロッカーではなく、可哀想なだけのお涙ちょうだいになっていたら、批判を受けることもなく、スポンサーが世に気兼ねすることもなかっただろう。みんな嘘泣きは大好きだから・・。


 優しく立派に育てた若者を、「人を殺して死ね」と戦に駆り出すとき、「おめでとう」と口々に言い、「ばんざい」と叫んで送り出した。
その言葉の残酷さ、その偽りの言葉の恐ろしさ・・あの時、この国は言葉を殺してしまったのじゃないか・・私はそう思っている。

「平和」という言葉を用いながら、他国の嫌がることをして憎しみを掻き立てたり、危険な原発事故に「安全」を連呼したりする。
そのようにして日夜言葉がねじ曲げられ、言葉が弄ばれている。

世がもっとも嫌悪するのは真実な言葉。此処は偽り者サタンの独壇場だから・・。彼らが好むのは偽善、それは恐ろしい圧力を持っている。

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