見出し画像

石ころ

赦しの中で

静かなことばは心に染みこんでゆく・・。

「私は信仰を持って選んだ」などと言うな。と・・
わたしがその選びに追い込み導いたのではないか。

自分で選び取ったなどと勘違いをしてはいけない。
まして、そんなふうに人に強いてはならない。

わたしはいつも待ったではないか
いつもいつもどんなにか待っているではないか
わたしがどれほど忍耐を持って待ってきたのかお前は知らないのか

細い御声で静かに解いてくださった。
恥をかかせないように、怒らせないようにと・・
主が語ってくださったように私も話すことができますように。

主はふれてくださる
「わたしの心だきよくなれ」
主よ。感謝します!
あなたの御側に、失敗をした時も居ても良いのですね。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

石ころ
ありがとうございます
エシュコルさとやんさん
「おこがましいかな?」
やっぱり謙遜っていいですね。

主が、ひとり、ひとりを、それぞれの歩幅に合わせて導いていてくださることを教えてくださいました。

「主よ、本当にありがとう!!」
アーメン
エシュコルさとやん
むべサンは…
本当に詩人ですね。ホンワカしてきますね。
ペテロに言われた様に(おこがましいかな?)若い時は自分で好きな様に動いていたけど、少しずつ十字架を知り主を知る事によって、主が私を本当に導いて下さっているし、過去の出来事を通しても導いていて下さっていたんだと、分からせて下さった事にハレルヤと讃美したいです。主よ、本当に有り難う!!
石ころ
私の知っていること
主が語ってくださる時は
私が失敗の中にいる時
落ち込んでいるときです。

でも、私は言います。
主がとても近しく居てくださるので幸せいっぱいなのです。
どんな時でも主は私の避けどころです。

主のムチも杖も、私は好きです。
とても恐がりで臆病だけど
主の道具はすべて愛で出来ているからです。

私は、とても思い上がっているでしょう。
死ぬまでそうです。
「私たちは主に愛されています。」
石ころ
コメントをありがとうございます
ゆっこさん、本当にお久しぶりです。
共感してくださって嬉しいです。
ゆっこ
石ころさん
お久しぶりです。

>わたしがその選びに追い込み導いたのではないか。

これ、すごくすごく共感できます。

短いですが、思わず足跡残します。



愛知県のさっちゃん
「私は信仰を持って選んだ」などと言うな。と・・
わたしがその選びに追い込み導いたのではないか。

自分で選び取ったなどと勘違いをしてはいけない。
まして、そんなふうに人に強いてはならない。

わたしはいつも待ったではないか
いつもいつもどんなにか待っているではないか
わたしがどれほど忍耐を持って待ってきたのかお前は知らないのか」

アーメン。
十字架の気づきも、主が目を開いてくださらなければわからなかった。
主は時を備え真理の中へと導いてくださった。
「ただ主だけでこれを導き」・・とあるように。憐れみ深い主の御手が
私の心の扉をたたいておられる。そのノックの音はとても小さい。ただ聞き取ろうとすべての雑音を黙らせ、静寂の中で待ち望む。

静まりの中で、語られる主の言葉によって、私たちは死からいのちへと移されてゆくのだから!
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事