石ころ

礼拝の喜び




礼拝の楽しみは、みことばもあるけれど何と言っても賛美。
兄弟姉妹と一週間ぶりに顔を合わせて互いを喜び合い、頭であるキリストを腹の底から喜び歌う。聖霊の臨在の中で・・、それは儀式とはまるで違う楽しみなの。

今週は、素晴らしい証を聞くことが出来た。
ご主人を亡くされ、ひとりで4人の幼い男の子を育てて居られるお母さんのお証だった。
お昼寝の二人を家に残して出掛けたわずかな間に、お母さんを追って家を出てた子供達が、それほど間を置かずに警察に無事に保護されたこと・・。

また、階段から落ちて頭を切った子を救急車で病院に運んでもらったのは良いが、あまりに遠くの不便な病院で、治療後に途方に暮れていたとき見知らぬ方が声を掛けて、駅まで送ってくださったこと・・。
「神様の沢山の目がいつも守ってくださって居るようです。」と話された。
その言葉を聞いたとき、黙示録のみことばが浮かんだ。

この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、常にいまし、後に来られる方。」(黙示録4:8)

子育てなんて夫婦揃っていてもしんどいものである。そのとてもしんどい時を生きて居られる方が、主を喜んでほめたたえておられる。安心と喜びが伝わって私も主をほめたたえるチャンスを頂いた。
天の聖なるいきものとともに・・。

人の弱さには望みがある。そもそも子育てで完全な親なんて居ないと思う・・。私も後悔は山のようにあるけれど、今は時々に助けを備えて、親と子の心を守ってくださった主への感謝となっている。失敗も成功もすべてのことが・・。

主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリント12:9)

祈っている方が喜んでおられる様子は、主からご褒美をもらったような気持ちになる。人の弱さの中にあってこそ、完全に現れてくださる主の力。
ただ主がほめたたえられることこそ美しい。彼女の幼子たちは、「アバ、父」に直に育てられているのかもしれない・・。

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