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石ころ

キリストの香り



 ある姉妹に「キリストの香り」ってコメントをしたとき、「乳香、没薬の香りが・・」と答えてくださった。「ああ、そうなんだ。」って、漠然としていた香りが明確になって感謝をした。それからなんとなく思いを巡らせていた。

乳香や没薬を生まれたばかりのイエスに準備をした東方の博士。高価な香油を捧げたマリヤ。葬りのために没薬とアロエを持って来たニコデモ。香料と香油をもって墓に来た女達・・。
あらっ、すべて人が用意した香りではないか・・。それはキリストの内からのものではなく、人がキリストのために捧げた香りだ。


 夕食の片付けを済ませてから、人参や椎茸、牛蒡を細かく切ったり、高野豆腐を煮たり・・そう明日のお昼はちらし寿司を作ろうと思って・・。

信仰を持って20年以上・・日曜礼拝に出席するといっても、それはそれは色々な時があったけれど、どんな時も土曜日は心弾ませて翌日の準備をしていた。
いったいそれはどうしてなのだろう・・何が私をそうさせているのだろう・・。

それは・・たぶん捧げる喜び。本当に大したことではなく少しの時、小さな準備が主の礼拝につながって嬉しいのだ。
今までそんなふうに考えてことはないけれど・・。
そうして、その喜びは主がくださったものだと気づいた。食事のための必要を満たし、家族の健康も、信仰も、主の備えでしかない。

 
 ああ・・、キリストの香りはやはり主から出たものなのだ。
マリヤに高価な香油を準備してくださったのは主。すべてそれらの捧げ物は主から出ている。ただ、マリヤはそれを最善に完璧に用いたのだ!

主はすべての良きものを、私たちの自由の中で持たせて下さって、捧げる喜びと、信仰の実を私たちに味あわせてくださるのだ。
何気な信仰の日々にある、主の備えと捧げもののキャッチボール。

マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。(ヨハネ12:3)

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