石ころ

異言で祈る


 中国の震災を思うと、温かい食事を取ることも申し訳ないことだし、お布団で眠ることにも罪悪感を覚える。ミャンマーでは何の助けも受けられない多くの人々が、今もお腹を空かせて雨に濡れているのではないかと思うと、そのことから目を背けていたくなる。

 祈ろうとしても、一体何をどのように祈るべきなのか言葉もない。造り主を知っている者として、祈るべきお方を知っている者として、取りなしの祈りのために静まろうとしても・・・。

 彼らを愛しておられるのは父なる神様。ひとりの御子を下さったほどに愛しておられる。なのに・・なぜ・・いや、最も悲しんでおられるのは造り主なる神様。

「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」 (イザヤ49:15)

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