石ころ

失われたもの(2) (ルカ15章)




 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。(ルカ15:12~13)


この財産は弟に約束されていたものである。だから彼が要求した時に父は分け与えた。
父は二人に分けてやったのだから、当然兄も自分の分を受け取っているのだ。

弟はかねてからやりたいと思っていたことをすべて経験した。全財産を失って豚の餌を食べたいほどの飢えを経験した時初めて、父の家で彼が与えられていたものの価値に気付いた。
父の家の内にはその中に居る者のすべてを養う豊かなパンがあったことに・・。

彼が自分のものをどのように使おうとそれは勝手である。しかし、やっと彼は自分が豊かな父の息子であり豚ではないと、自分の存在を貶めた罪に気付いたのだ。
豊かな父の息子であるのに、まったく相応しくない所に堕ちてしまった悔いである。だから彼は新しく知った父の元に、悔い改めをもって帰ったのだ。

あなたは、自分は富んでいる。豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。(黙示録3:17)

父が放蕩を許したのは、彼の居るべき場所に気付かせるためであった。
彼の要求通りにしたのは、彼が自分のしたいように振る舞って彷徨い、放蕩の末にそこには彼を満たすものは無いことを知るためである。
父の元を離れては豚の餌を食べるようになる。そこには真のいのちのパンはないという真実に目が開かれるためである。

しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。(ルカ15:29~31)


兄息子は分け与えられた財産に無関心で、それを意識することさえしなかった。だから彼は何も手にしていないのである。
どれほどの祝福もそれを用いないで土に埋めるなら、それは無いと同じである。いや、それは与えられた父の財産を無視したことである。
彼は、帰って来た兄を祝して料理された子牛を惜しんでも、自分自身の価値を惜しむことはなく失われたままである。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事