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石ころ

恵みを千代にまで

 神はイスラエルにカナンの地を聖絶せよと命じられたのに彼らはそうはしなかった。戦いの勝利は何時もイスラエルの力には拠らず、神様ご自身が備えられていた。なのに、彼らは安易になり、臆病になり、妥協して聖絶しなかった。


「わたしはあなたがたをエジプトから上らせて、あなたがたの先祖に誓った地に連れて来て言った。『わたしはあなたがたとの契約を決して破らない。あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇を取りこわさなければならない。』ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。それゆえわたしは言う。『わたしはあなたがたの前から彼らを追い出さない。彼らはあなたがたの敵となり、彼らの神々はあなたがたにとってわなとなる。』」(士師記2:3)

 みことばには従順が求められる。主が導かれた地で千代に至る恵みを得るには、妥協のない信仰が必要であった。勇敢でなければ喜ばれない、信頼しなければ勝ち取れない。カナンで世と妥協して共存することはできない。世を苦役に服させて、彼らを便利に利用することはみこころではない。

 初めに、主がカナンの地をイスラエルに分け与えられたとき、そこはまだ征服されていなかった。絶ちきらなければならないものが多くある。征服して行かなければ神が与えようとされるものを手に入れることは出来ない。みことばに従ってそれらをひとつ、ひとつ絶ち切って主の約束を実現してゆく。私たちがそれを目指すとき、主がその約束を現実にされる。

妥協して共存しても主は放って置かれる。だからと主をあなどってはならない。イスラエルに憐れみ深いけれど、主の祝福は続かず子孫に罠となり災いとなるから。

 自分の身に痛みのないりのないカインの捧げものではなく、アベルの捧げもの、手に抱えだきしめて育ててきたものを捧げた時、もう何も要らないと思うほどの喜びを知ることになる。その喜びを一度覚えると、自分から捧げるものが何かないかと探し回るようにさえなる。神様と喜びを分かち合い、親と子としての深い交わりを覚えるから。

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