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石ころ

息子と聖書を読む時


息子はクリスチャンだけれど、今は教会に通っていないと言うこともあって、彼が家にいる時は、二人でゆっくりと聖書を読む時間を持つことにしている。
ルカ8章からだったけれど、ちょっと議論になった。
「持っている人はさらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられる」彼は、
「世の人は絶対此処につまずく」という・・。
「これは、世の人に向かって話しているのではない。聞く耳のある者に対して話しておられる。聖書を読む時、イエス様が誰に向かって話して居られるかが大切だ」
と何時もsaltさんから教えられていることを伝える。

調べていた息子は
「なるほど、これは弟子に話されているんだね」と納得。
「イエス様は、ヨハネに向かって『あなたはわたしに従いなさい』と言われているから、みんなはとか世の人はとか言うのは置いて、今自分に聖書が何を伝えているかを聞くことが大切だと思う」
「会社に勤めていると、みんながどうのように思うかがとても大切だから、すぐにそう言う考え方をしてしまうからな・・」

「群衆に話された例え話では、群衆は分からないのではないか、なぜこういう話かたをされたのだろう」
「だから、弟子は聞き返している。誰でも求めるなら、弟子のように話してくださると思う。ただ、病気を癒して頂いたり、パンをもらうためにだけに、追いかけて付いていっても、神の国の奥義はわからないということじゃないかな・・。分かるまで良く聞くことが必要なのだと思う。『彼らは見ていても見えず、聞いていても悟らない』と言われている。パンの奇跡を見ても悟らない。その場だけの喜びに過ぎないから、すぐに忘れてしまうのだと思う。」
聖書を二人で繰りながら、あれこれと時に議論することもあって、それはそれで私には楽しい時。最後に心を合わせてお祈りをする。この時間は、私と息子の関係の感謝な基礎である。


だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。」 ルカ8:18

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