今日のメッセージはルカ21章「やもめの献金」のお話だった。
貧しいやもめの女は、百円にも満たないレプタを二枚捧げた。しかしそれは女のすべてだった。
神様はあり余る物で、私たちを祝福されたのではなく、ひとり子イエス様を私たちに下さった。だからこそ私たちは神様の愛を知ることができる。
イエス様は、誇りもいのちも「神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、」私たちにご自身を与えてくださった。
やもめの女はすべてを捧げて、何も自分自身に残さなかった。そこに神様への愛がある。
すべてを捧げた女に残ったものは、永遠に変わることのないイエス様の評価。しかし彼女は絶望して捧げたのではなく、今日無くしたものを、明日主から受ける希望を持って捧げた。
メッセージを聞いていて、この女のしたことは、人が神様から祝福を受ける時の鉄則のようだと思った。
レプタは二枚。人は一枚を捧げて一枚は自分に取って置こうとする。人って本当にそういう弱い者だけれど、私は経験から一枚残して握りしめていても、それは何の役にも立たないものだと思う。それでやりくりをしようとしても、そこから出てくるものは、矛盾や愚かさや失敗や無駄な努力にすぎないと思う。イエス様の手に渡さないと、本当に実を結ぶことはないと知っている。
今、私にとっての「二枚のレプタ」とはなんだろう・・と帰りの電車で考え続けた。
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