石ころ

日曜日にはイエス様のお話を聞く 11.5


今日のメッセージはルカ21章「やもめの献金」のお話だった。
貧しいやもめの女は、百円にも満たないレプタを二枚捧げた。しかしそれは女のすべてだった。

神様はあり余る物で、私たちを祝福されたのではなく、ひとり子イエス様を私たちに下さった。だからこそ私たちは神様の愛を知ることができる。

イエス様は、誇りもいのちも「神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、」私たちにご自身を与えてくださった。

やもめの女はすべてを捧げて、何も自分自身に残さなかった。そこに神様への愛がある。
すべてを捧げた女に残ったものは、永遠に変わることのないイエス様の評価。しかし彼女は絶望して捧げたのではなく、今日無くしたものを、明日主から受ける希望を持って捧げた。

メッセージを聞いていて、この女のしたことは、人が神様から祝福を受ける時の鉄則のようだと思った。

レプタは二枚。人は一枚を捧げて一枚は自分に取って置こうとする。人って本当にそういう弱い者だけれど、私は経験から一枚残して握りしめていても、それは何の役にも立たないものだと思う。それでやりくりをしようとしても、そこから出てくるものは、矛盾や愚かさや失敗や無駄な努力にすぎないと思う。イエス様の手に渡さないと、本当に実を結ぶことはないと知っている。

今、私にとっての「二枚のレプタ」とはなんだろう・・と帰りの電車で考え続けた。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事