石ころ

証し (主のストーリー)


今日は美容院に行ってきた。
「ご主人は如何ですか」と美容師さんに聞かれた。
「エッ」というと、「この前来られたときに、『明日はペット検査に行く』と話しておられたので・・」と言われて、
あの時、家に帰ってからなぜそんなことを話したのかと、ちょっと後悔したことを思いだした。
やはり誰かに話したかったのだろうか・・とか、彼女の家庭の事情なども聞いていた心安さからなのか・・ なんて、自分のおしゃべりに戸惑ったのだった。

 「それがね、小さくなってしまって、大学病院で何もすることが無いと言われて、今はよく食べて、良く動きとても元気。」
「えーっ、何か健康食品とかとっていたのですか、」
「いいえ、本当に何もしていない。主人と『イエスさまの憐れみだね』って話している」
「やはり、良いことをしている人は違うのですね」
「とんでもない。ただ、イエスさまが憐れんでくださっただけ」

 しかしこの、「ただ憐れまれただけ・・」という事実を伝えることはかなり困難。彼女はしきりに「そんなことが本当に起こるのですね」と繰り返していた。
私は、このような証を準備されたのはイエスさまだと気付いたので、真意を伝えることはイエスさまにお任せして、心の中で彼女のために祈った。

すっきりと短くなって軽くなったパーマ髪に満足をして、そう、彼女の技術がとても気にいっているので、心からお礼を言って喜んで帰って来た。

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コメント一覧

ムベ
ダイエットさんありがとう
「アーメン」みことば感謝します。

イエスさまは私たちを知り尽くす教師ですから、
私に合わせて導いてくださいます。
だから、難しくはないですよ。

ただ、読む度に新しい発見があって、それが楽しいのです。
ダイエット
どうも、ありがとう 。
神の言葉ってむずかしいね。

その人は永遠に生きる。--
-- わたしの肉のことである。

わたしの肉を食べ、わたしの血を
飲む者は、永遠の命を得、わたしは
終わりの日にその人を復活させる。


ムベ
私はペニーさんのことを全く存じ上げないので、そのことについては何とも言えません。でも、自分自身のことについては、お話しできます。

聖書を文字通りに読んでいます。
単純に文字通り、善悪知識の木といのちの木があったんだ・・って、なぜ神はその実を食べさせなかったの?そんなふうに主との会話を楽しんで読んでいます。

そうして、聖霊が気付かせてくださったこと、それは感動なのですが・・そのことを石ころに綴ってきました。
誰を説得するためでもなく、誰に楯突くためでもなく、誰に照らし合わせてでもありません。とても単純です。

でも、みことばはとても深くて、決して真理が二つもあるわけではないのですが、その深さに合わせてどんどん理解が変化して行くので、今は何処がゴールなのかわかりません。誰の解釈が良いのか、悪いのかなんて今の私には考える暇もありません。
ただ、人に訊くことはもうほとんどありません。それは、自分で直接主に教えを求めることができるからです。

みことばをイエスさまに聴きながら味わうこと自体、とても楽しいことでそれは幸せです。
この幸せや楽しさを分かち合いたいので、書いています。それに、書くという行為によって、教えてもらったことを反芻してみたり、書き終えたときにちょっとした達成感も味わえますから・・。
ダイエット
ムベさんの以前のコメントに、聖書は
文字どおりに解釈する。 との投稿が
がありました。
文字どおりに解釈”ってどういうことな
のかよくわからないのです。

ペニー(Penny)という女性の方のソルト
さんのところで彼女が聖霊によって
聴いた創世記(アダムとエヴァ)によれば

人が神との霊的な繋がりが絶たれた
ことを知識の実を食べたと書いてあるの
だそうです。 木が実際に在ったのでなく

エホバノ人に対して ペニーさんが言った
のと同じこと言ったことがあるの 
昔むか~しのこと 
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