「せっかく3家族揃っての計画なので、神様に祈って後は神様に任せて行きます。」というものがあった。
彼女の神様がどのような方かを知らないけれど、彼女の選択の尻ぬぐいをなぜ神様がしなければならないのかと、なぜそう思わないのだろうと不思議だった。
でも、人はこういう考え方をよくする。その計画は神様から出ていたのだろうか・・ 、そこのところを抜きにして結果を期待する神様。私の後からついてきてください、私の背中を押してくださいという。
なぜ神様はお前に仕えなければならないのか。ただし、人が作りだした神様ならそれは当然かも知れない。造られたものは造り主に仕えるべきだから。
初めは怒っていたけれど、だんだん悲しくなった。
人は造り主を知りたくはない。救い主なんて不要、便利な神様を死ぬまで平気で作り出しているだけじゃないかと・・。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。(ローマ1:20)
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