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石ころ

造り主

新型インフルエンザの流行にもかかわらず、海外に出発する人たちへのインタビュー、その答えの中に
「せっかく3家族揃っての計画なので、神様に祈って後は神様に任せて行きます。」というものがあった。
彼女の神様がどのような方かを知らないけれど、彼女の選択の尻ぬぐいをなぜ神様がしなければならないのかと、なぜそう思わないのだろうと不思議だった。

でも、人はこういう考え方をよくする。その計画は神様から出ていたのだろうか・・ 、そこのところを抜きにして結果を期待する神様。私の後からついてきてください、私の背中を押してくださいという。

なぜ神様はお前に仕えなければならないのか。ただし、人が作りだした神様ならそれは当然かも知れない。造られたものは造り主に仕えるべきだから。
初めは怒っていたけれど、だんだん悲しくなった。
人は造り主を知りたくはない。救い主なんて不要、便利な神様を死ぬまで平気で作り出しているだけじゃないかと・・。


神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。(ローマ1:20)

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コメント一覧

石ころ
エシュコルさとやんさん
自分の罪を意識していないのが人間なのでしょうね。
これを、書きながら私自身「どんなに主に忍耐して頂いて居る者でしょう!」と思っていました。
本当に十字架だけがすべてなのですね。
エシュコルさとやん
そうですね。よ~く考えてみればおかしいんですよね。でもやはり自分が主人公になりたいんですよね、人間って。神ならぬモノに委ねたいという気持ちが時にはありますもの。
ああ主よ、お赦し下さい。いつも十字架から離れる事がありません様に。
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