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石ころ

火曜日のために (エルサレム入城)



 イエスさまはロバの子に乗ってエルサレムに入城されます。そこは十字架が待っている戦いの場です。罪によって滅び行く人類を救うための戦場です。
しかし、そのエルサレムに乗って入って行かれたのは、百戦錬磨の馬ではなくロバの子でした。それは人には滑稽な風景だったでしょう・・。
でも、このことは旧約聖書に預言されていたことでした。

シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。(ゼカリヤ9:9)


 ロバは、そこでじっとイエスさまのお役に立つ時を待っていました。お役に立つためには、主の時を待つことが必要です。そうして、呼ばれた時にはすぐに従います。
どんなに重大な役割であっても、どんなに些細な事柄であっても、主にあってする事はすべて同じです。そのことが主から出た事であるなら、成し遂げるのは主だからです。

戦の経験もなく、人を乗せたことさえない子ロバに乗って来られるキリスト、それこそ神のご計画に相応しいことでした。
主は弱さの中に完全に働く力です。経験の無さ、力の足りなさ、少人数の弱さ。それは主の御名だけがほめたたえられるための備えです。

主はギデオンに仰せられた。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った。』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。(士師記7:5)


 私たちもイエスさまに呼ばれたときには、自分で自分を計ることなく即座に従ってよいのです。お弟子達もそうしました。
造り主は私たちのすべてをご存じですから、すべての必要は備えて下さいます。主は御真実なお方だからです。


 ロバの持ち主はイエスさまに聞き従って、繋いでいたロバに時を与えました。ロバは主によって綱から解かれ、用いられるチャンスを得たのです。
主に従おうとする時、世の綱から解かれるチャンスが与えられます。でもその時、人には少しばかりの勇気が必要です。イエスさまに一歩踏み出す勇気、それが祝福です。

世は出来ない事を要求するものですが、主はそうではありません。力が必要なときには主が強めてくださいます。知恵が必要なら神からの知恵を与え、時には環境に働いて用意して下さいます。すべて上から頂くのです。
だから、私たちは決して思い上がることも、卑屈になることも無いのです。そこで私たちは日々信仰の深みを経験して、ただ主の御名をほめたたえるだけです。


 イエスさまのエルサレム入城を、人々は「ホサナ、ホサナ」(救い給え、救い給え)と喜び迎えました。しかし彼らの思い描く救いは、イエスさまのご計画とはまったく違っていました。

彼らは植民地状態から解放というこの世での勝利を期待しましたが、イエスさまが成し遂げてくださる救いは、永遠の滅びに至る、罪の奴隷状態から解放することでした。
それは、神の御子が人の罪の精算のために、過去、現在、未来のすべての罪を負って罰せられ、十字架で死刑になって死ぬことでした。


 イエスさまの十字架のによって、主を信じる者はすべての罪の咎めから解放されました。今、すべてを成し遂げて下さったイエス・キリストを通して「アバ、父」(とうちゃん)と万物の創造主に向かって、私たちは日々話すのです。

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(Ⅰコリント5:17)


 大切なことは私たちの願いの通りに成ることではなく、イエスさまのみこころの通りに成ることです。
なぜなら、人には何が必要であるのかが分かっていないからです。人には永遠の事は思いも及ばないからです。

しかし、神様が私たちに与えようとしておられるものは、神の子とされた永遠のいのちです。
その救いを見いだすのは、力によってでもなく、人の知恵によってでもありません。私たちの弱さの中に完全に働く神の力によってです。

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