「われわれが・・散らされるといけないから」誰を意識して、散らされないようにと言っているのだろう。「神が立ち入ることのないように、われわれの力で天に近づこう」といっているように思える。
この時、人は互いに良くわかる言葉で一致団結し、高くそびえる立派な塔を建て上げ、われらの力を現し、われらの名をあげようと協力していたのだ。誰も反対する者は居なかったのだろう。確かに、人は大きな目標に向かって熱狂してひとつになるそんな力も持っている。
けれども、神を忘れた一致は何処に行き着くのだろう。神を抜きにした満場一致の怖さ、完全な一致というしばり。そんな力で身動きできなくなってしまうことがないように守られたのだと思う。
言葉を混乱させられて、人が散らされたことによって、私たちは神抜きに抵抗するチャンスを得てたのだと思う。あちらこちらに抵抗する人が散らされて、この少数の者は守られている。完全にひとつでないところから、完全な一致に支配されることなく、私たちは今、神を第一にするという選択が出来る。
伝道の難しさ、言葉が通じないように思えて不安を覚えるときがある。そんなときに私は、主が直接その方に恵みを満たし、喜びを与えておられるのを見ることで安心をすることがある。そこは神の担われるところであり、神が共に働いていてくださることを知ることができるから。
人の言葉が不完全なのは、それが神のみこころであり、その不完全さを通してご自身が働かれるためなのだろう。神は私たちたちの人生に細やかに介入してくださり、ひとり一人の名を呼んで、その弱さの中に、共に歩んでくださるお方。私たちの多くの失敗や、試行錯誤の中で共に歩んで導いてくださるお方である。
コメント一覧
石ころ
愛知県のさっちゃん
最新の画像もっと見る
最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事