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石ころ

バベルの塔

「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」 (創世記11:4~7)

 「われわれが・・散らされるといけないから」誰を意識して、散らされないようにと言っているのだろう。「神が立ち入ることのないように、われわれの力で天に近づこう」といっているように思える。

この時、人は互いに良くわかる言葉で一致団結し、高くそびえる立派な塔を建て上げ、われらの力を現し、われらの名をあげようと協力していたのだ。誰も反対する者は居なかったのだろう。確かに、人は大きな目標に向かって熱狂してひとつになるそんな力も持っている。

 けれども、神を忘れた一致は何処に行き着くのだろう。神を抜きにした満場一致の怖さ、完全な一致というしばり。そんな力で身動きできなくなってしまうことがないように守られたのだと思う。

言葉を混乱させられて、人が散らされたことによって、私たちは神抜きに抵抗するチャンスを得てたのだと思う。あちらこちらに抵抗する人が散らされて、この少数の者は守られている。完全にひとつでないところから、完全な一致に支配されることなく、私たちは今、神を第一にするという選択が出来る。

 伝道の難しさ、言葉が通じないように思えて不安を覚えるときがある。そんなときに私は、主が直接その方に恵みを満たし、喜びを与えておられるのを見ることで安心をすることがある。そこは神の担われるところであり、神が共に働いていてくださることを知ることができるから。

 人の言葉が不完全なのは、それが神のみこころであり、その不完全さを通してご自身が働かれるためなのだろう。神は私たちたちの人生に細やかに介入してくださり、ひとり一人の名を呼んで、その弱さの中に、共に歩んでくださるお方。私たちの多くの失敗や、試行錯誤の中で共に歩んで導いてくださるお方である。

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コメント一覧

石ころ
みことばを感謝いたします
何時もみことばを導いてくださって感謝いたします。
主が真ん中にいて下さる、この感覚を主に感謝して、キリスト者のお交わりを楽しませていただいています。

完璧なお方イエスさまが、ぴったりと近くに居てくださいますからそれで十分なのですね。
愛知県のさっちゃん
>人の言葉が不完全なのは、それが神のみこころであり、その不完全さを通してご自身が働かれるためなのだろう

アーメン

本当にそうですね。

「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。
 
あなたがたのもつ信仰が人間の知恵に支えられず、、神の力に支えられるため・・」

 コリント第一2:4,5

 の通りですね。

 弱さを持ちつつ、たらなさのまま、愛する方を伝える。それで充分なのですね。

。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。.。:+* ゜ ゜゜ *+:。.。:+* ゜ ゜゜ *

信仰のことばに満ちた励まし、お祈り、心から感謝します。
主にあって、この交わりの間に、幕屋を張られている主を褒め称えます!ハレルヤ!
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