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石ころ

下がれサタン

「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
サタンの巧みさは、人間中心、ヒューマニズムにあふれた言葉を用いること。それは、人にはとても優しく心地よい言葉に思えるから、ペテロも嵌められた。

イエスさまに対してさえ、弟子の口を用いて誘いかけるサタン。まして、私たちの日常にどれほど言葉を尽くして、働きかけていることだろう。サタンは光の御使いにさえ変装し、みことばをも操る。彼の言葉は人の肉には納得しやすくて、いつもいつも甘さと優しさに満ちているだろう。


今日は「聖絶」について息子と話した。
私は、十字架を思うと聖絶がなんであったのか分かり易いと思っている。人はそもそも、アダムが犯した罪によってすべて死刑囚なのだ。それは理不尽だというけれど、十字架以上の理不尽はないのだから人は何も言えない。

正義とは神そのもの。だから聖絶は正しいことである。神は「愛するひとり子」を十字架で見捨ててまで、ご自身の私たちに対する愛をあかしされた。

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