「見よ。わたしが選んだわたしのしもべ、
わたしの心が喜ぶ、わたしの愛する者、
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は異邦人にさばきを告げる。
彼は言い争わず、叫ばず、
通りでその声を聞く者もない。
痛んだ葦を折ることもなく、
くすぶる灯心を消すこともない。
さばきを勝利に導くまで。
異邦人は彼の名に望みをかける。」
神は、イエスを完全な人として地におくってくださった。イエスは人の子と名乗り、弱さを負って労苦し共に生きて下さった。
罪を侵されることはなかったけれど、人と同じように罪の誘惑をも経験して、人の苦しみも悩みも知っていてくださる。
イエスはご自分のわざを用いて世を従わせることはなさらず、ご自分の言葉で説得することもなさらなかった。
ただ、父なる神に拠り頼む信仰によって、神のわざを行いみことばを語って導かれた。そのことによって私たちはイエスに倣うことができる。
イエスは救いの望みの無い民に、神の義によるさばきと、神の愛による赦しを知らせて、ご自身のいのちと引き換えに神の救いを、信じる者に実現してくださった。
悟りのない者を怒鳴りつけることもなく、愚かさを嘲笑って無視されることもなかった。罠を仕掛けて貶めようとする者に、神の知恵を示して悟ることを導かれた。
十字架で殺す者にも、御父に執り成してその愚かさを庇われた。ご自身を十字架に売った弟子にも「友よ」と呼びかけて、最後の悔い改めの時を用意された。
病や障害に苦しむ者、自らの罪に涙する者、世から除け者にされている者の拠り所となり、共に食事をして御側に居らせ、触れる者の罪を赦して癒し、十字架の血潮に洗って永遠の御国にある勝利をたまわった。
今日も、罪の中で不器用に生きる人々に、自分を救うことが出来ないすべての人に、勝利への脱出の道を備えて、御許に来ることを待っていてくださる。
あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、
また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。(エペソ1:18~19)