以前は、単にサムソンを愚かだと思った。
悪女デリラを愛し、弱点を教えろと責め立てられ、願いを叶えることは自分が死ぬことであるのに、ついには自分の弱点を教えてしまう・・。
しかし今回、サムソンの「死ぬほどつらかった」この言葉が心に刺さった。
こうして、毎日彼女が同じことを言って、しきりにせがみ、責め立てたので、彼は死ぬほどつらかった。(士師記16:16)
ふっと・・サムソンとイエス様が重なった。
デリラは大金に目がくらんでサムソンを売る。必要もない金を欲して・・そう、彼女の必要はサムソンによって満たされ、サムソンによってどんな敵からも守られたであろうに・・。
キリスト者はキリストの花嫁。それは本当に良い花嫁なのだろうか・・。花婿に死ぬほどつらい思いをさせていることはないのか・・。
夫以外のものを求めて、時に責め立てるほどにねだっている事はないだろうか・・
私たちはデリラのようではないのか・・。イエス様は心の中にある思いをすべてを知って居られる。口にしなくても責め立てる事は出来るのだ。
すべてを満たす方に安息することなく、内にくすぶる欲望は、主に「死ぬほどつらい」をもたらせている事に気付いた。
賢さはデリラの中にありサムソンを売る。ユダのように愛を裏切ることはとても簡単。愛は愚直なものだから・・。
悪女デリラを愛したサムソン。
罪人を花嫁とするために、十字架にまでかかりいのちをくださったイエス様・・。
ああ、花嫁は何を語ろうか・・主と共にパンを食し、新しくされた香しい霊をもって、かすかな細い声のみことばを聴き取り、ただ花婿の愛に浸ることではないか・・。
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