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石ころ

キリスト者の交わり

主のみこころを歩むことをどれほど求めているか・・・それは、選び取れそうでいて、私たちが自分で選べることではない。いつもいつも課題を抱えて、日々の暮らしのど真ん中で互いに模索していることを深く感じた。

「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、」(ピリピ3:13~14)

話題はありふれた仕事のこと、就職のこと、自分自身の性格のことなど・・・、そんなことをありのままに語り合って、誰もがみことばに光を見出し、拠り所として結んでおられる。
「私は主に向かい、声をあげて叫びます。声をあげ、主にあわれみを請います。」(詩篇142:1)

思い返すとき、共に語っていたその真ん中にイエスさまが確かに居てくださった。そして、私たちはみんな同じ方向イエスさまを見ていた!そのことに気づいた。
だから、本当に少ない人数で、それも孫ほども年の差のある、環境も立場もまったく違っている者同士でも共感することができた。それもこんなにさわやかに・・・

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コメント一覧

石ころ
良き交わり
ありがとうございます。
取り繕う必要もなく、互いに傷をなめあうような交わりでもなく、
ただ主を待ち望む、そんなのぞみを共有できることが感謝です。
キリストの憐れみですね。
Salt
良き交わり
19日は良き交わりがあったのですね。嬉しいです。

さとやん、どーも。また奈良にも来てください。
石ころ
コメントをありがとうございます
本当に、思い返すときまで・・感謝なのですね。
みんな、「もう捕らえた」のではなくて、日常の中で、弱さの中で、捕らえようと苦闘しているのですけれど、
その真ん中にいて下さるイエスさまの温かさを感じて、ほんわかとした余韻が残っています。本当に感謝です。
エシュコルさとやん
アーメン!!
『思い返すとき、(最後の)…』まで、本当にアーメンですね。今、千葉県我孫子市においてそんな交わりに参加させていただいてます。キリストを見い出すまでは未だまだの時もありますが、宗教化してしまったキリスト教にはあり得ない体験をさせてもらってます。むべサンも本当に良かったですね!!
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