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石ころ

聖霊のあかし

 昨日は火曜日の人と久しぶりにお会いしてみことばを共に味わった。
彼女は、夏休みと言うことで一ヶ月間出会っていなくても、その雰囲気も態度も、毎週会っているときと全く変わらないことに、なんとなく驚いてしまう。
「イエスさまがずっといっしょに居て下さるから・・、それに今までのみことばを読み返していたから大丈夫、それはね、こういう言い方をしたら悪いのかもしれんけど、すごくイエスさまに興味があるねん。」
こんな言葉を聞かせていただくほど嬉しいことはない。イエスさま大好きの告白ほど力づけられ、安心させられる言葉はない。

 先日、ある姉妹が訪ねてきて下さって一日ゆっくりとお交わりをした。彼女は、私なら分かってくれるはずだと、主のお証を一杯抱えて来られた。
私は約束をした後もなんの準備もせずにただ、待っていた。「おもてなし」という言葉がずっと心にはあったけれど、みことばの備えもおやつの備えも不要に思えて、お久しぶりに出会う喜びでわくわくとして待っていた。

彼女は話続けて居られ、私はその間じゅう「アーメン」といい、「主を崇めます」と言って聞いて居た。彼女の身辺の主のお働きがまぶしくて、嬉しくて・・それはまったく私の知っているイエスさまそのものだったから・・同じ霊、同じ主を共有することの喜びと安心があふれていた。

 
 火曜日の学び、共に主を礼拝する時にひとつ欠けていること、主に献金を捧げることの大切さに気づいていたので、小さな献金箱を準備して持って行こうとしたのだけれど、みことばを書こうとパソコンを開いたとき、ちょっとした不都合が起こり、時間もなかったので「ああ、今日は止めろと言うことかな」と箱を置いて出かけて行った。

帰る前になって彼女の方から「イエスさまから受けるばっかりで、献金もできないのは良くないと思うから、今度から学びの度に献金をしたいのだけど・・」と言われてびっくりした。「私も今日同じ事を考えていたよ。確かに、献金は天国貯金、とても大切なことだからちゃんと準備しておくわ」と答え、本当に嬉しかった。

このことが主から出たことであるとはっきりわかったから、彼女から提案されて良かった。お金のことは気をつけないと罠があって、確かにそれが主から出たことである確信がないと、何かの時に私は不安になったかも知れないから。

 主が、「ちょっと待て」の信号を送って下さることが時々ある。それはちょっとした引っかかりのような、事がスムーズに進まないきっかけを置いて下さることからわかる。その信号を受けて止まるなら、間違うことなく導かれて進める。

彼女はイエスさまを信じて深い平安を得られた。しかし、彼女の身の回りには次々とやっかいなことが続き、その解決のために今回大きな出費に至ったという。それでも、笑顔で「すべてはイエスさまが準備していて下さった。」と証してくださった。私は厳粛な気持ちでお証を聴いた。信仰は年月や学びの深さではなく、ただイエスさまを信頼して身を寄せる者にある勝利だと思った。

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