石ころ

電気屋さん丁寧なコメントありがとうございます。



 ちょっと長くなったのでこちらに書かせて頂きます。
 電気屋さんも歯磨きを習われたのですか、歯磨きを習うのは小学生だという思いがありましたが、習うに手遅れってことはありませんね。
若い女性が長い間顔を寄せて、優しい言葉で手入れをしてくださるのですから・・すごいことです。
病などがすぐに癒される時はとても楽なのですが、人が関わってくださることの中にも、神様の準備してくださった愛があることに気付きました。

はい。入れ歯にちょっと慣れてきました。以前の金属臭がなくて楽です。ほんとうにピタリと治まっています。ただ、食べて居るときにちょっと擦れると感じる部分があって・・清潔に保ちながら様子をみています。
インプラントのこともさらっと選択の中に話されました。「歯茎に杭を打つ・・」という方法も、高額な治療費も恐いのでスルーしました。

 主人の治療のことは、未だ心に沈んでいたことを書いてしまいました。
すべてのことは神様の許しの中にあったことで、そのすべてを用いて主人を信仰告白に導いてくださったのですから、もう祝福の内に終わった事なのですが・・、
親切に接した時に、不親切と感じたことを思い出すのは良い事ではありませんね。

あれは、私の信仰に拠って選択することができない時、主人の信仰に寄り添うという忍耐の訓練だったと思います。
私たちの信仰に、イエスさまが今も忍耐して寄り添っていてくださることを思いました。

 口を大きく開けた治療中に、「生きよ」という主の命令を聞きました。その時大げさと感じたのですが、バイク事故から守られるということも重なった今は
「生きることはキリスト」とキリストに在って生き、「死ぬこともまた益です」(ピリピ1:21)とある、益になる死まで「主を喜ぶ捧げもの」を捧げる祭司を続けます。
入れ歯を入れて霊の歌をうたいます。ふふふ・・

主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。
あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。(Ⅰペテロ2:4~5)



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コメント一覧

ムベ
電気屋さんコメント感謝します
色々の中に自分の思いを書いてしまいました。受け止めてくださって感謝します。

はい。心の中にあって感情とともにふいに湧き出るものと、時に葛藤をしながら生きるのだろうと思いました。でもそれを取り繕う必要はないと思っています。
隠しても主はすべて先刻ご存じですから、思いがわき上がるというのは、あるいは取り扱いのためかもしれないと・・。
それを主の光の中に曝すことで取り扱われて、きよめられて行くのではないかと思います。「闇は光に打ち勝たなかった」ので、安心してさらけ出しても良いと思いました。

神様は私たちの罪を「もう思い出さない」といわれました。私もそのように完成される希望を持っています。「彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。」この時を待っています。
はい。私たちには希望があります。その希望は失望に終わることはありません。

今、みことばの約束にすぐに戻ることが出来ることは幸いです。
まだ見ていなくても、みことばは必ず成就するので喜び歌います。今、神様をほめたたえて歌うことは従順による捧げものです。
すべてをはっきり見る日が来るのは本当に、あ~楽しみです。
電気屋
いろいろと書いて頂きありがとうございます。
いくつになってもまだまだ知ることはありますね。

心に沈んでいる事は、難しいですね。
あるのですから、、
少しでも書いたり、話したりして沈めて置くのではなく、底にあるものを掻き混ぜたりしたほうが良いのか
それとも、いつかなくなるまで、置いておけるのか
わかりませんけど、私たちには希望があります。

天においては、もう気に留める事すら無いってことで、なんて素晴らしいのでしょう。
その時には、栄光の主を見上げて愛する者たちと共に褒め称えるだけ

あー、楽しみです。
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