神がアブラハムを試練にあわせられた。神が彼に「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は「はい、ここにおります」と答えた。
神は仰せられた。「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」(1~2)
父アブラハムに命じられるままにイサクは薪を背負って、父に付き従って山を登った。彼は父から「捧げものをするため」と聞いていたが、屠るべき羊を連れていないことが不思議であった。
イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」彼は「何だ。わが子よ」と答えた。イサクは尋ねた。「火と薪はありますが、全焼のささげ物にする羊は、どこにいるのですか。」
アブラハムは答えた。「わが子よ、神ご自身が、全焼のささげ物の羊を備えてくださるのだ。」こうして二人は一緒に進んで行った。
神がアブラハムにお告げになった場所に彼らが着いたとき、アブラハムは、そこに祭壇を築いて薪を並べた。そして息子イサクを縛り、彼を祭壇の上の薪の上に載せた。
アブラハムは手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。(7~10)
山に着くとイサクは父に縛られ、薪の上に載せられ、父は刃物を振り上げた。彼は年老いた父よりも力があっただろう。彼が抵抗すればアブラハムはみこころを行えなかった。
父と子の会話は一言であった。何の説得もされていない。
イサクは父が話した「神が備えてくださる羊」を、縛られている間も、薪の上に載せられても、刃物が振り上げられても信じていたのである。
イサクのこの信仰は何処から来るのだろう・・、ずっとこのことが分からなかった。イサクには、アブラハムの信仰よりも完全な従順を必要とするからである。
先日イサクのこの信仰は、神とアブラハムの関係に在るのだと気付かされた。
主がアブラハムの信仰を守るために、イサクに平安の祝福をもって触れていてくださったのだと・・。
主が試練を与えられるときは、完全な守りと助けを持っていてくださる。神は良い方でありご真実な方であるから・・
そのとき、主の使いが天から彼に呼びかけられた。「アブラハム、アブラハム。」彼は答えた。「はい、ここにおります。」
御使いは言われた。「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」(11)
そうして、アブラハムは角を藪に引っ掛けた御羊を見つけて、全焼のささげ物として主を礼拝した。神はイサクの生涯を祝福された。彼が神に捧げられた者だからである。
家族を捧げるようにして従順する時がある。それは、大切な一つのことを選び取るときである。
あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。(Ⅰコリント10:13)