石ころ

エリフの正しさ (主のストーリー)


 彼はとても正しい言葉を筋を通して語った。つまり年長者の語るのを待っていたということで・・。
しかしエリフの動機は、ヨブが神よりも自分を義としたことに対して、神に代わって怒り、友人がヨブに言い返せなくなったことに怒ったのである。

「私にはことばがあふれており、一つの霊が私を圧迫している。私の腹を。
今、私の腹は抜け口のないぶどう酒のようだ。新しいぶどう酒の皮袋のように、今にも張り裂けようとしている。
私は語って、気分を晴らしたい。くちびるを開いて答えたい。」(ヨブ記32:18~20)


 エリフにあるこの「霊」とは何の霊だろう・・。「物言わざるは腹ふくるるわざ」なんて古いことわざそのものだ。彼は気晴らしをしたいと書いてある。
人が神に代わって怒るなど恐れ多いことである。それは神ご自身のなさることであるから・・。
張り裂けようとしているのは、新しい葡萄酒を古い革袋に入れたから・・分かり易いことである。

でも、エリフのことは自戒を込めて読まないと・・って、私はドキッとした。
神は愛である。神から発したことなら愛が先立っていたはずである。ヨブの3人の友は、間違ったことを話してしまったかも知れないけれど、心からヨブを愛していたことがわかる。
家族もこのような間違いを犯すことがよくある。

「声をあげて泣き、おのおの、自分の上着を引き裂き、塵を天に向かって投げ、自分の頭の上にまき散らした。
こうして彼らは彼と共に七日七夜、地に座っていたが、誰も彼に話しかけなかった。彼の痛みがあまりにも酷いのを見たからである。」(ヨブ記2:12~13)


彼らは語った言葉によって神に叱られているけれど、ヨブに祈ってもらうことで受け入れられた。このことは神が彼らの愛に応えて準備されたことであった。

 しかし、エリフは無視されている。熱心に宗教を語ったけれども、それが神から出ていなかったから・・。
神の言葉に非常に似ていても、愛の無い所にはみこころは無いと思う・・。
そうして、彼の語ったようになった。
「だから、人は神を恐れなければならない。神は心のこざかしい者を決して顧みられない」(ヨブ記37:24)

 叱られたり、懲らしめられることは、神が実子として扱ってくださっていることである。だから恐れるものではない。けれど、放っておかれることは恐ろしい、それはそのまま滅びに至ることであるから・・。

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