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石ころ

新年のご挨拶を申し上げます

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。

外は純白の雪景色。窓から差し込む雪明かりで家の中が本当に明るい!
主人はもう外で雪かきをしている。本当に好きなんだから・・寒いのに・・あきれてしまう。
私はひとりでお餅を食べて、まだ出していなかった分の年賀状を書き、主人にポストまでの配達を頼むと「ほい、来た」とばかりに快く引き受けてくれた。まるで犬ころみたい・・。

まぶしい日が差して来ると、近隣の人々が次々に出て来て、てんでに雪かきが始まった。わいわいと賑やかに話しながら雪をかく音。
昨日のあの静寂は何だったのだろう・・って感じ。雪に塞がれていた道も次第に開かれて、何時もの景色が広がっていった。私にはちょっぴり残念な感じ。

私が生まれた日は雪が降っていて、母は雪子と名付けたかったと聞いたことがある。嫁入りの荷が出るときも春の雪が降っていた。洗礼式も春なのに雪がちらついていて・・だからってわけではないけれど、なぜだか雪景色は好き・・。

息子は昼頃帰ってきた。疲れた顔も見せないで、大好きなおせちの重箱を抱えてむさぼり喰っている。昨夜からろくに食べていないのだろう。
今年もまたその調子で頑張るだろう。
若いときには、遮二無二頑張るのもいいことかもしれないから・・そうして、自分の無力さに気づくものだと思うから。

みことばを開いて、今日もサマリヤの女のところで立ち止まる。
「しかし、わたしが与える水を飲むものはだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわきでます。」(ヨハネ4:14)

「神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
このことを主はサマリヤの女に対して語られた。このことは、何を現しているのかと思いをめぐらせる・・。礼拝とはと思いをめぐらせる。求めよう・・求めなければ・・
イエスさまが「・・しなければなりません。」とおっしゃっているのだから。

私にとって礼拝とは、その方と生きて行くこと。みことばを生きることだと思う・・。今日、一日ずつ主を選び取って、みことばの約束により頼んで生きること。

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コメント一覧

石ころ
電気屋さんへ
息子の写真に暖かい眼差しと、暖かいエールを送って下さって心から感謝致します。
彼が見たら喜ぶでしょう。また、お世話になるかも知れませんが、その時はよろしくお願い致します。

小鳥などその動きを捉えるのに、デジカメは実に便利な道具だと思います。
彼はそれを楽しんでいるようです。

本当に、私たちがこの世を飛び立つ時、一片の心残りもなく、喜び勇んで主に向かうことが出来るという予感は、深い感謝です。年を取るほどにね・・。

今年もどうぞよろしくお願い致します。
石ころ
保護者さんへ
本年もよろしくお願いします。
年頭のお分かちを、心から感謝致します。
「父なる神>イエス>私>イエス>父なる神」
アーメン!
ああ、単純明快とてもよく分かりました。

「私の出る幕など無い。」そうなのです。
みことばによって生きる。それは、みことばがしてくださるという事実に、安息すること。

サマリヤの女に言われたことなのだから、決して難しいことではないはず・・と思い、
しかし、こんなに単純でよいのかと・・思い、ちょっぴりの賢さと、僅かな力が絶えず脅すのです。

本当は何も出来ない。いや、今はしてはいけないのです。
でもね、ある意味、恐いことでもあるのです。
すり込まれているものがありますから・・

でも、それらをすっかり脱ぎ捨てて、ただ霊によって礼拝する。
頑張ります!じゃなく安息します。
たとえ、まるで主を試みているかのように思えたとしても・・

「彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、・・その教えは真理であって偽りではありません。・・また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。」
アーメンします。
電気屋です
今年もよろしくお願いします。
写真の鳥のシリーズがどれも素晴らしいですね。
私もブログ用にと狙ってみるのですが、景色や花と違い小動物は本当に難しいです。
特に12月20日の飛び立つ瞬間の躍動感は
写真の憧れを超えて
残すものになにも後ろ髪をひかれることのない飛び出しで
いつか自分が飛び立つ時の思いまで感じさせてくださいました。
戸隠も鳥の多いところでその為の方々も来られます。また私の故郷の舳倉島も鳥の写真を撮る為に良いと聞いてます。
まあどこにいてもそれを見る目と撮る力なのですが、息子さんにもお近くにお越しの際はお寄りくださいとお伝えください。
美しい年の始まりに感謝です。
保護者
霊とまことによる礼拝
新年 明けまして おめでとうございます。
今年の年頭に思ったことです。
父なる神>イエス>私>イエス>父なる神
つまり、
父の中にイエスがおられ、イエスの中に私がいる。
そして、私の中にはイエスがおられ、そのイエスの中には父がおられる。
私自身は真ん中に(神の内に)隠されており、前も後ろも 主に取り囲まれているので「私」の出る幕など全く無い。有るのはただ「ありてある方」だけなのです。
そのような確信を土台として主を仰ぎ見ること。
そのような位置(場所)において礼拝していきたいと思っています。
今年も宜しくお願い致します。
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