石ころ

今日の歌(2024.02.04)

 

「帰って来て」友のラインに笑いつつ 終の棲家の床磨きおり

 

石斛を挟んで交わすお交わり 亡き夫(つま)共に語る心地す


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コメント一覧

ムベ
デ某さまコメント感謝します。

「帰って来て」友のラインに笑いつつ 終の棲家の床磨きおり

私は思いもよらない地に越して来ることになったのですが、今は感謝して過ごしています。息子と暮らせることはやはり心強いです。
クリスチャンとして何時でもこの世を去る備えがあり、それからすると引っ越しは大したことではないです。数時間で何時でも行くことが出来ますから・・。
それでも友のラインのちょっと甘さ漂う言葉が、張り詰めている心に嬉しく届きました。

石斛を挟んで交わすお交わり 亡き夫(つま)共に語る心地す

ご近所のご主人と石斛を見せあってお話していたのです。私が育てているものは、主人が大切にしていたものなので、その話の真ん中に主人も混じっていたような感じがして、懐かしいような切ないような思いが残りました。

シマジロウさんの様子は本当にご心配ですね。
昔ウサギをを飼っていました。病院に通って手を尽くしても、私の膝の上でだんだんと骨ばってやせ衰えで行くとこちゃんに、オロオロとした日々を思い出しました。デ某さんのご心配が本当によく分かります。

特売を仕込みて軽し背の荷物

デ某さんご満悦のニンマリを勝手に想像しています・・うふふ。
特売に張り切ることは若返りの薬でもあり、お得付きの遊びです。「品」は私をご存じないゆえの勘違いです。それゆえ嬉しいです。

 遠回り風と戯る買い出しの菜とヒレ肉は息子の好み

10分もかからない道を歩数を稼ぐために遠回りして行きます。買い物はちょっと楽しい気分転換です。引っ越す前は一人暮らしだったので、料理にも張り合いがなかったのですが、今はちょっと張り切って作っています。

 日記帳忙しき日々は真っ白け

私も「三屋清左衛門残日録」見ていたことがあるように思います。
死を受け入れると残りへの執着がなくなり、毎日が儲けものみたいな気分で大胆になるように思います。

 あけぼのの一分毎の早まりをスマホに空に見るは嬉しき

スマホだけでは言葉足らですね。見ていたのは日の出の時刻でした。年明けには真っ暗な中に息子を送り出していたのですが、日毎に東の空のオレンジ色が広がって来て、二月に入るとほんのりと藍色の町並みに送り出すようになりました。なんだかほっとします。

ゆっくりと近づいて来る光の春を朝毎に味わっています。雨や曇りは窓辺にもつまらないのですが、遅ればせのチューリップの芽が出揃ったのは雨のお蔭です。

コメントを沢山ありがとうございました。とても嬉しいです。
シマジロウさんの元気が回復しますように。
デ某
> 「帰って来て」友のラインに笑いつつ 終の棲家の床磨きおり

昨秋 帰省した際に高校時代の友人と旧交を温めました。
かつては 「帰って来い」とよく言っていたのに
「余生は生まれ育った此処ではなく京都に住みたい」と。
色々な思いが重なっての言葉ではありましたが…びっくり!
改めて室生犀星「ふるさとは遠きに在りておもふもの」を思いました。

> 石斛を挟んで交わすお交わり 亡き夫(つま)共に語る心地す

ムベさんご夫妻の昔日を想います。
そのように接しておられた日々に心から敬意を表します。
現在のわが夫婦は 石斛ではなく愛猫を挟んで交わす言葉、思い。
この二週間に愛猫は急激に衰え ほぼ毎日通院しています。
抱いていて 骨のごつごつがわかる痛々しさと哀しみ。
懸命に生きようとしている姿に心ふるえる愛しさを共に感じつつ…。

> 特売を仕込みて軽し背の荷物 (1/23)

特売!への思い入れは 男には殆どないかもしれません。
でも 福袋とか銘菓を安くばら売りしたものとかに出会うと
歩きながらニンマリして…不気味な表情になっているかも(笑)
「仕込みて軽し」は ムベさんらしい品のある表現ですね。

> 遠回り風と戯る買い出しの菜とヒレ肉は息子の好み(1/23)

ご子息への愛情が心にしみる佳い歌だと思いました。
遠回りに道草に手間暇に 深い思いが込められと…

> 日記帳忙しき日々は真っ白け (1/18)

日記帳のページが空白の日は
きっと 多忙にして充実した一日であったことでしょう。
空白は 日々の“帳尻”を合わせているのでしょうね。
旧い時代劇「三屋清左衛門残日録」(藤沢周平)を思いました。
和紙を綴じた帳面に筆で日々の出来事と思いをしたためる場面。
残日録とは 「死ぬまでの残りの日を数える」ではなく
「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」… 言わば余裕でしょうか。

> あけぼのの一分毎の早まりをスマホに空に見るは嬉しき (1/18)
朝寝坊の私には「あけぼのの一分毎の早まり」は感じられません。
でも毎夕のウォーキングの道すがら「日の長さ」を実感します。
秋の “釣瓶落とし”の逆!ではなく じわりじわりと感じる日の長さ…。
でも「スマホに」は意外! 進んではりますねぇ。
私はスマホで画像を見ることは殆どありませんので…。
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