私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(12~13)
クリスチャンの素晴らしさは、貧しさにも豊かさにも、あらゆる境遇において、主を知る恵みが備えられていることである。それは主の愛を味わい、信仰の証の場所ともなる。
そこには捧げる喜びと受ける喜びがあり、だからどんな時も恵みの主への感謝は尽きることがないのだ。
神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6:33)
私たちの貧しさは、神の国を求めることの貧しさから来るものである。だから、貧しさを人に訴えることはキリスト者にはない。ただ、主はどんなことでも聞いていてくださるご真実なお方。
神の家族は互いに霊の不足を満たし合うけれど、世の必要は、神の国を求めることから始まって、主に満たして頂くものである。
パウロは牢に在っても、その働きの必要が満たされていた。このように私たちに多くの導きの言葉を遺している。
主は、すべての必要をどんな境遇においても備え、豊かに満たしてくださるお方である。だから恐れることはない。
私の神はキリストの栄光のうちにあるご自分の豊かさに従って、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。(19)