一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、
大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。(ローマ12:4~5)
目は各器官の中で、もっとも早く「知る」ことができるものとして造られた。
目は「危険」も「積まれてある祝福」も、見たままをいち早くからだに伝えなければならない。
目はからだのためにある。
見えるように造られているのはからだを守るためである。
だから、目が見たことをほめる必要はない。そのように造られた方こそほめたたえられるべきである。
からだは目が伝えたことを受け取って、即座に各器官がそれぞれの働きをすることで健やかに成長することが出来る。
目から寄せられる情報を無視することは危険である。造り主が細やかに準備してくださった守りを無視することにもなるから・・。
目が見た喜びは、体全体で現すことができる。
目の見た危険は、体の働きによって回避できる。
すべての器官は、頭なるキリストのからだとして建て上げられるための者である。私たちの誇りはみな同じ、キリストのからだとされていることである。
愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。(エペソ4:15)
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