石ころ

キリストのからだ




一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、
大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。(ローマ12:4~5)


目は各器官の中で、もっとも早く「知る」ことができるものとして造られた。
目は「危険」も「積まれてある祝福」も、見たままをいち早くからだに伝えなければならない。

目はからだのためにある。
見えるように造られているのはからだを守るためである。
だから、目が見たことをほめる必要はない。そのように造られた方こそほめたたえられるべきである。

からだは目が伝えたことを受け取って、即座に各器官がそれぞれの働きをすることで健やかに成長することが出来る。
目から寄せられる情報を無視することは危険である。造り主が細やかに準備してくださった守りを無視することにもなるから・・。

目が見た喜びは、体全体で現すことができる。
目の見た危険は、体の働きによって回避できる。
すべての器官は、頭なるキリストのからだとして建て上げられるための者である。私たちの誇りはみな同じ、キリストのからだとされていることである。

愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。(エペソ4:15)

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

ムベ
デ某さん、お返事遅くなりました。
今日ブログにアップさせていただきました。お時間がありましたらどうか見てください。
あまり読みやすいものとならなくて申し訳ありません。

なぜが私のブログに読者登録していてくださる方々は、クリスチャンではない方ばかりで不思議なことです。
私は聖書を聖霊に導かれて書いているので、クリスチャンのために書いているはずなのですが・・。
でも、どれほど、支えられ励まされて来たことでしょう。すべて神様の良いご計画によることだと深く感謝しています。
ムベ
デ某さんコメント感謝します
改めて、お返事を書かせていただきます。
お話ししたいことが山のようにあります。少しお時間をください。
デ某
誇り
http://blog.goo.ne.jp/00003193
> 私たちの誇りはみな同じ、キリストのからだとされていることである。

ここのところが少し謎なのです。
みな同じキリストのからだとされていながら
肌のちがい 民族のちがい 国のちがい による諍いがやまず
宗教のちがいさえもまた諍いの種に・・・。
政治・経済・文化・宗教・・・を問わず
世界中の指導者に 「誇り」 をもって戴きたく思います。 
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事