石ころ

奇跡(イエスさまの備えてくださった証し)



過去の記事を証しのために再掲載させていただきます。

主人の車の音がして、仕事先から戻ってきた。
「何かあったな」と感じた。いつものトントンという足音ではなく、ちょっと足を引きずって入って来る。「どうかしたの」主人は黙って、病院の領収書を出してきた「怪我でもした?何処」差し出した足の甲が、少し赤くなって擦り傷がある。

「失敗した。もう、あかんと思うた。こんな大きな木が足の上に落ちた。」両方の腕を広げて4、50センチの輪をつくってみせる。生の大きなケヤキを切っていて、それが足の甲に落ちた衝撃で、後ろに倒れたという。動けなくて、一緒に仕事をしている人にその木を切ってもらって、足を抜くことが出来たそうだ。

すぐに車に乗せて病院に走ってくださった。レントゲンの結果は何事もなく、ひびも入っていないとのことで、湿布薬も貼らずに帰ってきた。

一緒に仕事していた人も、「えらいことになった、と思うたでぇ、もうほんまに、あかんと思うた。俺も狼狽えてしもうて、どうやって木を切ったかわからん」興奮して話してくださった。「ご心配をおかけして、すみません」と言いつつ、私は自分がすごく落ち着いていることに驚いている。ただ、みことばが心に広がってゆく。

主人は「ほんまに、奇跡や、イエス様が助けてくれはった。」と繰り返している。「朝、お祈りしてて良かった。」主人の結論はすごく単純明快。私たちは何をするにもまず祈る。それは、自分に自信がないから。年を取って力もないし、知恵もないし、お金もないから何時も祈る。私たちにあるのはイエス様に頼ると言う知恵だけ。

私はずっと落ち着いていたけれど、夜、みことばを開いて始めて、感謝で胸がいっぱいになった。


私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。Ⅱテモテ2:13
 
まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。詩編91:11、12

2006年up

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

ムベ
キリストの悲しみ
わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。(ヨハネ14:11)

起こったことは客観的事実です。証人もおられました。
主は私たちが塵に過ぎないことをご存じですから、わざによって信じることができるように働いていてくださいます。神のわざを人が隠すのは罪です。

この記事をupするように導かれた時、恐れを持って「主の御名が崇められますように」と祈りつつ、主に在ってしたことです。偽りがないことは主がご存じです。

頂いたコメントがこのような内容であったことはとても残念です。
私はイエスさまの心を思って悲しいです。
Partition
いいこと嬉しいことがあれば神のお蔭だというのは違うと思いますよ。
色んな新興宗教の信徒がそういう事を言ってます。
主観で話すより客観性が大切だと思います。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事